yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

巳之助・橋之助の『芋掘長者(いもほりちょうじゃ)』八月納涼歌舞伎@歌舞伎座8月21、22日第三部

詞書に「三津五郎に捧ぐ」とあるように、故三津五郎の持ち舞踊劇だったものの「再演」。三津五郎が藤五郎、橋之助が治六郎という配役で、平成十七、十九、二十年に舞台に乗った。それを今回は橋之助が藤五郎に回り、三津五郎の長男、巳之助が治六郎を演じる。

以下、「歌舞伎美人」からの配役とみどころ。

<配役>
芋掘藤五郎 橋之助
友達治六郎 巳之助
腰元松葉   新 悟
魁兵馬   国 生
菟原左内   鶴 松
松ヶ枝家後室 秀 調
緑御前   七之助

<みどころ>
◆踊りが苦手な男の困った末の大一番
 松ヶ枝家では、息女緑御前の婿選びの舞の会を催します。そこへ友達の治六郎とともに現れたのは、緑御前に思いを寄せる芋掘藤五郎。舞ができない藤五郎のために、面をつけた舞上手の治六郎が途中で入れ替り、藤五郎のふりをして見事な踊りを披露します。感心した緑御前から、藤五郎は面をとって踊るよう所望され…。
 藤五郎が困った末に見せる芋掘踊りなど面白味のある舞踊です。平成17年歌舞伎座で十世坂東三津五郎が新たに振りをつけて45年ぶりに復活させた十世の思いがこもった作品です。

六世菊五郎の藤五郎、七世三津五郎の治六郎という配役で大正七年に東京市村座にかかったのが初演。作者の岡村柿紅はこの二人のために、『棒しばり』、『身替座禅』、『茶壺』等の狂言を素にした舞踊劇を書き下ろしたという。その後二回ばかり板に乗ったものの長く途絶えていたのを、十世三津五郎が「光を当てた」。歌舞伎座で平成十七年に四十五年振り上演の運びとなったらしい。

舞踊の名手二人の競演。「舞踊の名手」ではない藤五郎を舞踊の名手たる三津五郎(今回は橋之助)が、わざと下手に踊るのがミソ。それも「舞踊の名手」の治六郎の振りをワンテンポ遅れて真似をするところがみどころ。名手が下手のふりをするというのは、これまた難儀なことだろうと想像がつく。故三津五郎は万人が認める舞踊の名手。いったいどんな風に踊ったのだろうか。観たかったけど、もう遅い。橋之助はきわめて手堅く踊っていた。それだけではなく、この役を演じるのがなにかうれしそう。この方、なかなかのユーモアのセンスの持ち主なのは、勘三郎が率いたコクーン歌舞伎でもよく分かった。三津五郎の型をなぞりながら、そこに三津五郎とはちがったオカシの精神を再現しようとしたのだろう。同時に自分がかって演じていた治六郎を巳之助が踊るのが、うれしかったに違いない。そのうれしいという感じが、全身から滲み出ていた。

巳之助は少々緊張気味。二日目の観劇では花道スッポン傍の席だったので、その緊張がびしびし伝わってきた。なにしろあの若さで舞踊の名手を演じるんですからね。それも実際に踊ってみせなくてはならない。おまけに父、三津五郎へのオマージュとなっている舞踊を。二重の重荷。踊りは恐らく父上ほどには完成度が高くはなかったんだろうけど、それでもサマになっていた。なによりもあのひょうひょうとした感じがこの役にぴったりだった。近くでみると、彼が一瞬たりとも気を抜いていないのがよくわかった。他の役者が演じている際、一歩ひきつつも決して気を緩めていない。真摯な態度に誠実さが覗き見えた。

緑御前役の七之助もかなり大変な役。お姫様の定型、腕を前にずっと出していなくてはならない姿勢、さぞ疲れただろう。でもさらりとやってのけて、こういうところが七之助。このひとがしんどそうなのをみたことがない。あっぱれ!

松ヶ枝家後室役の秀鯛も品といい風格といい役にぴったり。腰元役の新悟は先月の『阿弖流為』以来。なにかおかしい。こういう外したおかしさを出せるのが巳之助との共通点。巳之助と仲が良いので(多分)、巳之助が踊っているとき、つい新悟の方をみてしまう。どう反応してんだろうなんて、(失礼な)興味をもって。

狂言が素になっているので、可笑し味が全体を覆っている。押し付けがましさがないのが、上方の笑いとは一線を画すところかもしれない。落語がソースの『祇園恋づくし』といい、こういう江戸前のそこはかとない笑いもいいですね。