yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

五年前よりも腕を上げた勘九郎と巳之助の「棒しばり(ぼうしばり)」in 「八月花形歌舞伎」第二部@歌舞伎座 8月22日

「歌舞伎美人」サイトから拝借した演者一覧と解説が以下。

岡村柿紅 作 

 

次郎冠者
太郎冠者
曽根松兵衛

勘九郎
巳之助
扇雀

 

酒好きの二人が縛られてしまい…

 次郎冠者と太郎冠者は無類の酒好き。ある日、主人の曽根松兵衛は外出中に酒を盗み飲まれないよう一計を案じ、次郎冠者の両手を棒に、太郎冠者を後ろ手に縛りつけて外出します。飲めぬとわかるとますます酒が飲みたい二人は、協力して酒を酌み交わし始めます。そうして二人がほろ酔い気分で踊り出したところへ、松兵衛が帰ってきて…。
 狂言を題材とした、おかしみにあふれる松羽目物の舞踊。両手が使えず、自由が利かないなかでも存分に踊って見せるところがみどころです。明るい雰囲気のなか、巧みな技がふんだんに盛り込まれた舞台をお楽しみください。

ちょうど5年前の8月に勘九郎・巳之助の組み合わせで「棒しばり」を歌舞伎座で観ている。ただし、曽根松兵衛は彌十郎だった。もちろん狂言の「棒縛」を基とした松羽目物。岡村柿紅が踊りの名手だった七代目坂東三津五郎のために書き下ろした作品。それを曾孫の故十代目三津五郎(巳之助の父)が、7年前8月の「納涼歌舞伎」で勘九郎と演じた。十代目三津五郎が亡くなったので、息子の巳之助が勘九郎と初めて組んだのが5年前ということになる。その感想をブログにしている。万感迫るものがあった。

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歌舞伎の醍醐味の一つが、先代のみならず歌舞伎の先輩たちの芸をどういう風に当代が「料理する」かというのを見ることである。それが「家の芸」といわれるものだと、先代とはどう違っているのか等、興趣が尽きないものである。この二人の前にはそれぞれの父が二人揃って演じた「棒しばり」。

五年前に見た勘九郎・巳之助の組み合わせでは、かなり大人し目な印象だった。その前に見ていた愛之助・壱太郎版がとことん上方風に滑稽色満載だったのと比べてしまった。ところがである、今回の「棒しばり」はぶっ飛んでいた。上方風?と見まごうほどに、大げさな所作。五年前のものにプラスαが付いていて、この五年間の二人の成熟をずっしりと感じた。

とりわけ滑稽だったのが、最後の場面。いただいたプログラムには、「酔ったふたりの姿を見た松兵衛は怒ってふたりを追いかけるが、次郎冠者と太郎冠者はこれをかわし、松兵衛に詫び言を言いながらその場から逃げて行く」とあるけれど、これだと狂言バージョンですよね。勘九郎と巳之助は思う存分松兵衛を翻弄し、松兵衛の慌てぶりをコケにし倒すというように、大幅に変えられている。この場の三人の踊りがおかしくも可愛い。

勘九郎と巳之助の身体の柔軟さと、笑いのセンスの絶妙に笑い転げたけれど、松兵衛役の扇雀も負けていなかった。二人よりも年齢はずっと高いのに、素晴らしい袴さばき。それでいて二人に合わせたテンポとスピードで踊るのは、とても大変だろうと想像できる。でもいかにも楽しげに、うれしげにこれを遣って退けた扇雀に頭が下がった。 

お囃子も乗りに乗って、彼らの馬鹿騒ぎを煽ってみせる。会場も一体化して、濃密な空間に化していた。お囃子を仕切られたのは能の大鼓方、亀井広忠師の弟、田中傳左衛門さん。さすがです。

後見役で、中村ファミリーのいてうさんを久々に見ることができたのも、うれしかった。

もともと歌舞伎舞台は見るつもりがなかったのに、「セルリアンタワー能」のチケットが取れずに、歌舞伎に振り替えたもの。でも、やっぱり歌舞伎は楽しい。とくに今回は「花形歌舞伎」と銘打ったもので、若手が勢揃い。歌舞伎の若手は(海老蔵を除けば)素晴らしい役者揃い。第一部の愛之助・壱太郎の「連獅子」もよかった。残念だったのは、もう1日早く来て、第四部の「切られ与三」を見るべきだったこと。当代一の幸四郎と将来の歌右衛門になる児太郎の組み合わせ。きっとすごいことになっていたんだろう。残念!最後にチラシをアップしておく。

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