yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

河村晴道師シテの能『梅枝』@京都観世会館 8月23日

この日は11時始まりで能3本に狂言1本のインテンシブな構成。ただ、前日にかけての東京遠征で少々体調を崩してしまい、2本目の能『梅枝』からの観賞になった。チラシ表・裏を貼っておく。演者はこれを参照していただきたい。

f:id:yoshiepen:20200621161409j:plain

f:id:yoshiepen:20200621161410j:plain

始まった当初はまだ頭がボーッとしていて、舞台に気持ちが乗り切らなかった。あとで概説を読んで、注意散漫だったことを恥じている。河村晴道師は上背があるので、舞台姿が映える。前場の唐織の美しい衣装、それに後場の豪華な舞楽奏者衣装と鳥兜がより印象的だった。豪華さにある種の物々しさが加味されていた。チラシの表にある片山幽雪師のシテ写真がこの後場のものである。

「銕仙会」の「能楽事典」から解説をお借りする。ここでは『梅枝越天楽』となっているけれど、劇中にシテが舞う越天楽がタイトルに使われているのだろう。

作者 不明
素材 『後撰和歌集』巻19離別羇旅に見える和歌・能〈富士太鼓〉
場所 摂津の国(現在の大阪府)住吉の里
季節 秋
分類 四番目物・執心女物・大小物
  
あらすじ
 摂津の国住吉の里を訪れた旅の僧が萩の藁屋に宿を乞います。そこに住む女が僧たちを庵に導くと、中には舞楽の衣装と太鼓が飾ってありました。女は、それはある人の形見であると言い、その昔、浅間と富士という楽人が太鼓の役をめぐって争い、浅間が富士を殺してしまったと語ります。残された富士の妻は太鼓を打って、心を慰めていましたが、やがて彼女も亡くなったと明かしました。そして自分がその妻であるとほのめかし、消え失せます。僧が女の成仏を願い、供養をしていると妻の亡霊が現れ、夫を忍び、舞を舞います。

この解説の最後に追加されていたのが、「〈梅枝〉は物狂能〈富士太鼓〉の後日談ともいえる内容です。〈富士太鼓〉は夫を殺された富士の妻が夫への恋慕から狂乱し、太鼓を打つという内容です」という但し書き。そのとおりでこの能は『富士太鼓』と対になった作品らしい。ただし、私は『富士太鼓』を未見なので、比較できないのが残念。

前場、ワキの福王和幸師も上背のある方で、僧の装束が映える。その姿で二人の従僧を従えて颯爽と登場。名乗りのところで、身延山から修行に出て摂津住吉に着いたというセリフがあり、法華宗の僧であることがわかる。この法華宗というのが何か深い意味があるのかもしれない。

シテの面が深井という憂いのある中年女の面であるところに、この女が悲劇の渦中人物であることがわかる。なんでも『富士太鼓』の方は現在能の形を採っているが、こちらは過去を振り返る夢幻形式になっているとのこと。すでに亡くなっている富士の妻が、それより前に亡くなった夫を弔う経を唱えて欲しいと僧に訴える。深井の面が翳るとき、その悲しみが如実に示される。

中入り後はアイの茂山茂師がシテ(舞楽師、富士の妻)の悲劇を解説する形で物語る。ここでは思い入れは禁止だろう。淡々と語るところにより悲劇性が立つ。

後場では「淡々」の風情が一転、前場で鞨鼓台にかけられていた夫の形見の舞楽士の華麗な衣装を纏った物々しい出立のシテが登場、雅楽の曲を織り込みながら、扇を使って優雅に舞台を練り回る。なんでも、曲は夜半楽、青海波、越天楽といったものらしいのだけれど、判別できずじまい。いつか聴き分けられるようになるのだろうか。近いうちに舞台が見れればいいのだけれど。

シテは台から撥をとって、撥を持ちつつ舞い続ける。興が乗り、撥で鞨鼓を打つ仕草。激しく夜半楽、青海波雅楽の曲名を織り込みながら舞台を巡る。ついには地謡と掛け合いつつ、「うたへやうたへ 梅が枝 梅が枝にこそ、鶯は巣をくへ、風吹かばいかにせむ、花に宿る鶯」と曲の「越天楽 今様」を謡い舞う。

やがて霊は、自らの亡霊になっても晴れない夫への執心を恥じつつ、それでもなお執着の想いを残しつつ、舞台から退場する。

『謡曲百番』(新日本古典文学大系57 岩波書店)の『梅枝』解説を参考にさせていただいた。驚いたのが、後場のシテの舞謡部に「法師品」、「方便品」「題目抄」といった法華経中の句がちりばめられていること。この作品の作者が法華宗に帰依した人だったからなのか、それとも当時の「教養」として法華経が必須だったのか。これらのお経のおかげなのか(?)執心物にしては、激しい恨みの残り香が舞台には残らず、かなり穏やかに美しく終った。鎮魂ならずとも魂宥めがあったように感じた。