yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

手練れ揃いで面白くないわけがない『松竹梅湯島掛額』@歌舞伎座 1月9日夜の部

この日は前日に続いて国立劇場の歌舞伎を見たのだが、第4幕まで見て、歌舞伎座に移動、なんとか夜の部にぎりぎりセーフだった。

 

猿之助・幸四郎・七之助の阿吽の呼吸がいい!

予想通り、プログラム最後の狂言、『松竹梅湯島掛額』が最高だった。猿之助、幸四郎、七之助のチーム、面白くないわけがないですよね。終始、笑いっぱなしだった。このチームの面々、気心知れた間柄(?)で、阿吽の呼吸が素晴らしかった。上方で演れば、バカうけすること間違いなし。もともと、福森久助作、江戸の森田座にかかった狂言に、黙阿弥が八百屋お七の「火の見櫓の場」を組み込んで、それを江戸市村座に乗せたものらしい。だから、出自はれっきとした江戸前。猿之助チームで問題なし。昨今、猿之助、幸四郎のお二人は、お笑いの真髄を「極めよう」としているかのようですね。あの「弥次喜多」のおかしさが、甦ってきた。 

配役一覧とみどころ

以下に「歌舞伎美人」からお借りした配役一覧とみどころをアップしておく。浄瑠璃のところは「筋書き」からの情報。

吉祥院お土砂の場
四ツ木戸火の見櫓の場

浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」

太夫

 竹本幹太夫

 竹本豊太夫

 竹本拓太夫 

三味線

 鶴澤燕太郎

 鶴澤祐三

 鶴澤繁二

人形遣い

 國久

 いてう

 仲四郎

 

 

<配役>

紅屋長兵衛      猿之助
八百屋お七      七之助
母おたけ       門之助
長沼六郎       松江
若党十内       廣太郎
同宿了念       福之助
釜屋武兵衛      吉之丞
友達娘おしも     宗之助
月和上人       由次郎

下女お杉       竹三郎
小姓吉三郎      幸四郎

 

 

みどころ 趣向あふれる人気狂言

 本郷駒込の吉祥院へ、「紅長」の愛称で親しまれているひょうきん者の紅屋長兵衛、八百屋の娘お七たちが逃れてきます。小姓吉三郎に心を寄せるお七が、その恋がかなわないことを知り悲しみに暮れているので、紅長はお七の機嫌をとり慰めます。
 しばらくあとの冬の夜。お七は吉三郎のもとへと急ぎますが、すでに町の木戸は閉じられています。木戸を開くためには、火の見櫓の太鼓を叩かなければなりませんが、厳罰に処されてしまいます。それでも吉三郎に会いたい一心のお七は…。
 お七と吉三郎の恋物語に加え、紅長がお七の恋に手を貸そうと面白おかしく活躍する歌舞伎には珍しい笑劇と、櫓のお七の人形振りがみどころの趣向あふれる舞台をお楽しみください。

「八百屋お七」をシャレのめす趣向

「八百屋お七」の世界が底になっていて、それをいかに読みかえ、膨らませて、新たな狂言を立てるかというところに、狂言作家の腕が試されたのだろう。江戸戯作の「洒落」趣向が随所に見られて、楽しい。「著作権」なんてまるで気にせず、勝手気まま(?)に利用できるものはすべて利用する。芝居を見る側は、「オリジナル」を知っていて、それが料理されて新しい献立になって出てくるのを、味わい、喜ぶ。こういう掛け合いが舞台と観客の間で生まれていたのだと、とても羨ましく感じた。現代ではこうは行きませんからね。

三人三様の「ずらし方」に見応えが

洒落の精神が基本にあるので、狂言回し役が主役。つまり、紅屋長兵衛役の猿之助。「弥次喜多」の時と同じく、嬉々として演じていた。ただ、客席はさほど反応なし。東京の観客は、お笑いをあまり好まないのかもしれませんね。それとも歌舞伎初心者がほとんどだった?楽日に近づくにつれて、盛り上がればいいのですが。

昨今、「洒落」を本領としている感のある幸四郎もまた、嬉々として演じていた。こういうちょっとおバカな若い男の役は、まさにはまり役ですね。微妙な表情のつけ方が、なよなよした所作が、実に巧妙。登場した最初から喜劇の役だと分かる。七之助はそれを受けて、こちらも「悲劇の主人公、お七」然としていない。微妙にずらしている。もっとも、最後の見せ場の「火の見櫓」のところは、人形浄瑠璃そのままに、正統派の演技。「人形振り」はずっと以前に福助で見たことがあるけれど、それとは違った演じ方だったような。床に太夫三人、三味線三人の伴奏でのこの場面、見ごたえがあった。

悲劇中の悲劇ではある元の「八百屋お七」ではあるけれど、この作品では最後もホッとする終わり方で、悲劇味がなかったのが、パロディらしくてよかった。

見ている間、既視感があった。特に欄間に描かれた天女にお七が替わるところ。調べたら、平成18年、新橋演舞場で見ていた。吉右衛門が紅屋長兵衛、猿之助がお七、当時の染五郎(現幸四郎)が今度と同じく吉三郎。初代吉右衛門の当り狂言だったので、吉右衛門は当然。おかしかったのは、猿之助、幸四郎が再び組んだこと。こちらも当然だったんですね。