yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

茂山逸平、茂山童司ご両人の狂言『土筆(つくづくし)』in「能楽チャリティ公演」@ロームシアター京都 サウスホール

はじめてみる演目。狂言のエッセンスが詰まっている。シテを逸平師、アドを童司師。土筆、芍薬をみた男二人、ちょっと背伸びをして、それぞれが土筆、芍薬にちなんだ和歌(うた)を披露してみせるけれど、いずれもが誤り。言い争いになって、最後は相撲で決着をつけることになる。インテリでもなく、教養があるわけでもない庶民の見栄っ張りさ、おバカさがかわいい。これをインテリの逸平さん、童司さんが演じられるのもかわいい。絶妙の呼吸。そういえばそもそも狂言をまともに聴いた最初が昨年1月のお二人の川西での公演だった。連れ合いが茂山家の大ファンで、ついていった公演だったのだけれど、話術のうまさに感心した。もちろん狂言の笑いの精神にも。

ゆげひさんの「noh-and- kyogen.com」から「あらすじ」をお借りする。

ある男が友人を誘って早春の野遊びに行きました。土筆が出ているのを見つけて、ふたりで土筆を取った後、「つくづくしの首しおれてぐんなり」と和歌を詠みます。すると友人は、和歌に「ぐんなり」はおかしいと指摘しますが、男は「…風騒ぐなり」という古い歌がある、と言い張ります。次に芍薬の芽を見て友人が「難波津にさくやこの花冬ごもり 今は春べと芍薬の花」と古歌を詠みますが、今度は逆に男のほうが、それは王仁の和歌で「…咲くやこの花」の間違いだと笑います。すると、さっきの「…ぐんなり」のことを持ち出して笑う友人。男は怒って友人に相撲を挑みますが、逆に打ち倒されてしまうのでした。 

茂山ファミリーの素晴らしさは、どなたがどなたと組んでも、それぞれに味があって、楽しいこと。お互いに「ちょっと上を行こう」とされるところは、まさにこの日の狂言そのもの。そして最後は自分たちを「笑う」というところも。この姿勢は狂言のエッセンスそのもの。また上方の笑いのエッセンスでもある。他の狂言を見ても、それを味うことはできず、改めて茂山家の方々、おひとり、ひとりの力のほどを認識させられる。特にこの日のお二人は教養の点でも群を抜いておられますしね。