yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

役者の華を魅せてくれた『江戸の一番星 遠山金四郎』桐龍座、恋川純劇団@新開地劇場 8月24日夜の部

ミニショーはなく、お芝居から始まった。芝居はご存知、「遠山の金さん」。いまさらながらに純座長のうまさに唸らされた。東映の役者さん五人の応援があった。殺陣の専門家だけあり、立廻り部が迫力満点、加えて役者としてもさすがと思わされる演技で、彼らが加わったことで、芝居の格が数段上がっていた。一人五役もやられた方も!「大衆演劇の芝居」という範疇を超えた、優れた舞台を見せてくれた。娯楽作品として第一級。ここまで完成度の高い大衆演劇の舞台を見ることは、そうないだろう。私自身の経験でも指で数えられるくらい。先日、某劇団で見た座員の数だけやたらと多い、それでいて質が落ちる舞台と比べてしまった。あちらが特に劣等というわけではなく、大衆演劇では「普通」に属するレベル。ほとんどの劇団はそれ以下なので、「適当にお茶を濁す」程度の舞台でも、観客は満足するのかもしれない。

客が劇団を育てるなんて、大衆演劇には期待しないほうがいい。両者は一蓮托生、かつ期待の地平も同じなので、もっといい舞台を求めて、飽くなき精進をするなんてのは、まず無理。批判は耳には届かないから。それ以前に批判を耳にするなんてことが、ありえない。大衆演劇の業態を鑑みれば、それもやむを得ない部分があるんですけどね。だからこそ、そういう業態、慣習を踏み越えて前進する座長さんには、頭がさがる。ただ、ただ、尊敬しかない。ずっと応援したい。また、まっとうな客が増えて欲しい。私などがいくら言い募っても、所詮はごまめの歯ぎしり。でも、最近の恋川純劇団の快進撃を見る限り、人の眼も節穴でないことがわかり、うれしかったりするんです。

もうひとつ、最近つくづく腑に落ちていることがある。古典劇であれ新劇であれどんな舞台でも、役者の人格は舞台の品格になって表われ出るということ。どんなひとなのか、舞台を見れば自ずとわかってしまう。彼がまだ十代の頃から見てきているので、これは断言できるのだけれど、恋川純さんはその意味でも、他の役者と比べて秀でている。他にも秀でた方がいるれるけれど、純さんの「お友だち」であるのは、「やっぱり」っていう感じ。

お芝居はこの5月に京橋羅い舞座で初演したものだとのこと。大まかなあらすじは以下。名前等に誤りあればご容赦。

最近江戸市中で傍若無人にふるまう旗本若衆の一団があった。彼らは「次郎組」と称する盗賊団でもあるらしい。首謀者は七千五百石旗本の次男坊の平次郎(風馬)。それに悪の取り巻き連(東映の方々)が付いている。今日も今日とて茶店の前で子供の千吉(桜奨)を苛めている。そこに仲裁に入ったのが遠山の金さん(純)。彼らを追い払う。千吉はに奉行所の牢屋に入っている父親が早く帰ってくるよう、七夕の短冊に願い事を書き、笹にぶら下げている。そして金さんに、「遠山さまならおとつぁんの濡れ衣をきっと晴らしてくれる。遠山さまに会いてえなー」と言う。信州を出る際、父が彼に言っていたことば、「淋しくなったら、夜空の一番星を見るがいい。どこにいても、俺も一番星を探すからな」を金さんに伝える。その健気さに涙する金さん。

 

子供の母、おみち(純加)は、江戸に出た連れ合い(千弥)を追って信州から出てきていたのだが、今は借金を返すために、みちやと名乗って芸者に出ている。千吉の父親は「御家人殺し」のカドで、奉行所に連れてゆかれている。また、母親も芸者になっているため、千吉は茶店の女主人に面倒を見てもらっているのだ。しかし、御家人殺しの真の下手人は平次郎。試し斬りをしたのがたまたま御家人だったため、罰が重くなるのを恐れ、中間の千太郎を身代わりにしたのだった。その平次郎のお気に入りが、芸者のみちや。自分のものにしようと、執拗に追いかけている。みちやをなんとか庇おうとしているのが、金四郎に思いを寄せる芸者(かれん)。

平次郎がみちやを自分のものにしようと散々荒れている料亭に乗り込んだのが金さん。見受けの金を払込み、颯爽とみちやを連れ出してしまう。怒り狂う平次郎とその取り巻き連。復讐を誓う。

 

平次郎の父(初代純)はほとほと困り果てて、再三説教をするのだが、「次郎であることで差別されてきている」という被害者意識に凝り固まっている平次郎の耳には届かない。上役から平次郎に切腹をいい渡せと、迫られている。さもなくば、出家させよと命じられ、帰宅したのだった。そこにやってきた遠山の金四郎。平次郎の父と彼の父とは親交があり、父の土産として、風鈴を持参したのだった。息子の平次郎を諌める遠山の言葉に涙する平次郎父。「親にも勝る器量でござりまする」と慨嘆。自身の子息の不甲斐なさと、金四郎の出来の良さを、思わず比べてしまったのだった。気にくわない平次郎。金四郎が帰った後、軒先の風鈴に八つ当たり、切り落としてしまう。まさにつける薬がない。

 

奉行所に戻った金四郎、千太郎を取り調べ、真の下手人が平次郎であることを確信する。その頃、みちやは金四郎のおかげで、息子の元に帰っていた。そこに押しかけてきた平次郎一味。みちやことおみちを拐かす。さらに母を追う千吉を斬り殺す。

 

この場に一足遅れで到着した金さん。実は千吉との「一番星を一緒に見る」という約束を果たすためにやってきたのだけれど、目にしたのは千吉の無残な亡骸だった。一足遅かったことを悔やむ金四郎。みちやを取り返しに平次郎のもとに乗り込む。なんとか取り返し、さらに平次郎一味をお縄にする。その際、あの桜吹雪を見せつける。 

 

奉行、金四郎のお白州に引き据えられた平次郎一味。奉行に促され、真の下手人が自分でないと、千太郎が告白する。証拠がないと、あざ笑う平次郎たち。そのとき、金四郎が片肌脱いで、桜吹雪の刺青を披露する。観念し、問答無用で引っ立てられて行く平次郎一味。そのあとに千太郎、みちや夫婦が残る。みちやから千吉が亡くなったことを知らされ、狂乱する千太郎。ここ、千弥さん、良かった。芝居が芝居として、文字通り顕れ出ていた。口上でも純座長が絶賛しておられたけれど、ホント、この場面は涙なしには見られない熱演だった。あっぱれ、千弥さん! 

完全なハッピーエンドとなっていないのは、千吉の死があるから。また、平次郎にも一抹の「同情」の余地があるから。このreserveにとても感心した。また、それをきちんと意識されている(口上でおっしゃっていた)純さん。この芝居のキモをきちんと把握されていることにも、感激した。感性、イイ!そしてアタマ、イイ! 

来月(9月)は東京、浅草の木馬館での公演を控えている「恋川純劇団」。木馬でもとても人気があるのは、彼が十代から。私自身も東京遠征の折、時間が合えば、木馬館に行ってみるつもりにしている。