yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『No Man’s Land 誰もいない国』ナショナル・シアター・ライブ@神戸アートヴィレッジセンター 8月24日

ハロルド・ピンター作(1974)。先月、先々月、ロンドンで見たナショナル・シアターの舞台、3本が期待外れだったので、ちょっと迷ったのだけれど、主演がイアン・マッケラン(Ian McKellen )と聞いたのと、録画されたのが一昨年とわかり、最終日に滑り込んだ。見て良かった。

ピンターといえば、『バースデイ・パーティ The Birthday Party』(1957)、『料理昇降機The Dumb Waiter』 (1957)、『管理人The Caretaker 』(1959)、そして『帰郷 The Home Coming』(1964) は読んでいた。一応学部では英文学専攻だったので。いまどき、ピンターが教材として使われることはあまりないのかもしれない。いわゆる「不条理劇」の先鋒だから、理解するのが難しい。それらに比べると、この『No Man’s Land 誰もいない国』は、人間関係の不可能性、その底知れない不気味さを描くという点ではその前の作品と同質ではあるものの、どこか、ホッとするユーモアが感じられて、ちょっと異質な感じがした。でもセリフの端々に、やっぱりピンターだと思わせる皮肉、諧謔、ブラックユーモアが匂っていた。

上演されたのはウィンダムズ劇場 (Wyndham’s Theatre)。ここでは5年前に「ミスター・ビーン」ことローワン・アトキンソン主演の Quartermaine's Termsを見ている。そう大きな劇場とは感じなかったのだけれど、こうやって劇場全体を映した映像を見ると、3階まであるかなりの規模。このときの記事に劇場写真をアップしている。

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現実と空想の間を行き交う会話。それも二人のliterary menの間の知的なもの。それが徐々に下世話というか、下ネタが挿入され、やがて女をめぐる嫉妬に駆られた皮肉の応酬になり、激しさを増す。ところが、両人を見れば、二人とも老人。知的なのか痴的なのか、判別つけがたい台詞も、二人の老人の「たわごと」らしく、永遠にずれたままなのが、なんとも可笑しい。でも、きっちりと英国のliterary menらしく、知的な遊びにもなっている。ここがすごいところ。演劇の国、英国。ここでは言葉がすべてなんです。っていうのは誇張しすぎかも知れないけど、でも、言葉の比重が、その言葉を操る職業であるliterary manであることが、大きな意味を持っているのは事実。大学の学部でも英米では英米文学専攻(つまり国文学)が最も「尊敬」されるんです。

閑話休題。舞台は大きなお屋敷の一室で終始する。屋敷があるのはロンドン郊外のハムステッド(Hampstead)。劇中にもしばしば出てくるHampstead Heathは大きな緑地。昨年、ロンドンからの帰国便中で見た映画、Hampstead(邦題:『ロンドン、人生始めます』)にも度々出てきていた。豊かな人々が金融都市ロンドンの喧騒を逃れて住む高級住宅地である。パトリック・スチュアート(Patrick Stewart)演じるこの邸宅の主人、Hirstは、見るからにぱりっとした紳士。近くのパブで出会った老人、Spooner(イアン・マッケラン)を連れてきている。こちらは、一応ジャケット着用とはいえ、裕福とはとうてい言い難い上下を着ている。明らかにアル中のSpoonerは自称、詩人。高らかに自分の才を謳いあげるも、どこか辻褄があっていない。あとで闖入者である男Briggsにばらされるのだけれど、実はパブでウェイターならぬ、店の片付けをして生活をしている?つまり、この屋敷の主人と同「階級」の人ではない。でも、literary manなんです。実際、オックスフォードの卒業生らしい。屋敷の主人もオックスフォード出身らしい。この辺り、会話の中に見え隠れするものの、どこまでが事実なのかははっきりしない。学生のころ、そして卒業後に行ったクルーズの話と、大いに話が盛り上がり、そのうち、事実と空想との区別がより曖昧になって行く。客の分際で、酒を次々と飲み干してゆくSpoonerの方は、実際の自分を「隠す」」ために。家の主人Hirst の方は痴呆が入っているために。

そこに入ってきた若い男二人。この二人の関係とHirstとの関係が明らかでなないものの、会話から想像するに、シェフ兼ウェイター、そして雑用係として、痴呆が入ったHirstの面倒を見ている?この二人の関係は明らかにゲイのもの。となると、Hirstとの関係も推測される。

夜が明けて朝になっても、この一室に全員が「集う」ことになる。太陽の光が入るのを嫌うHirstはカーテンを閉めるように言う。薄明かりの中で進行するドラマ。進行するといっても、堂々巡り。そして、このまま、つまり何の進展もないまま終わる。

WikiにSpoonerがHirstに発した衝撃的なセリフと、それへのHirstのレスポンスが載っている。

Spooner now comments, "No. You (Hirst) are in no man's land. Which never moves, which never changes, which never grows older, but which remains forever, icy and silent." Hirst responds "I'll drink to that!" and the lights fade slowly to black. 

なんとも言い難い思いに捕らえられた。まだ40代だったピンターが「老い」の問題をこういう風に捉えていた、つまり我がこととして捉えていたことも、衝撃だったし、これがわかってしまう自分がいるのも、怖かった。ガーディアン誌のものを除き、この舞台(2016年9月)へのレヴューは概ね高い。当然だと思う。

このフィルミングの目玉だったのが、アフタートーク。役者さんそれぞれが役との関わり方を話してくれた。また、NYを含む各地の公演での観客の違いについての話が、興味深かった。また、背景になっている1970年代の雰囲気を出すため、「衣装」に苦労したという話も、楽しかった。