この日が上映最終日に当たるのを前日に気づき、慌てて見てきた。午後6時前に始まる芦屋ルナホールでの能公演のチケットを確保していたので、かなり迷ったのだけど。
スティールを公式サイトから借用させていただく。
『一人の男と二人の主人One Man, Two Guvnors』の原作を書いたのは18世紀イタリアの劇作家、カルロ・ゴルドーニ。ゴルドーニの作品は見ていない。3年前にコメディア・デラルテの本拠地、ミラノのピッコロシアターで見た芝居にも入っていなかった。ゴルドーニはコメディア・デラルテを代表する的劇作家。Wikiでは、「コメディア・デラルテのもつ卑俗性と、仮面による人物の類型性を脱却して画期的な生命を獲得し、イタリアにおける近代劇への母体となった」と開設されている。
ゴルドーニ原作と知った時点で抱腹絶倒喜劇であることは予想できた。予想的中。文字通りドタバタ喜劇。それも吉本顔負けのもの。3000円のチケット代の元とは取ったと感じるくらい徹底したコメディ。ちょっと乙に済ました感のあるNTLiveにしては快挙。とにかくすごい!ロンドンの劇評も良かったらしい。劇評については別稿にしたい(今、読んでいる暇がないので)。
イタリアの作家カルロ・ゴルドーニの戯曲を1960年代イギリスに置き換え、映画「ワンチャンス」などで知られるジェームズ・コーデン主演で描いたドタバタ喜劇「一人の男と二人の主人」を収録。
1960年、イギリス南東部の街。主人公フランシスは地元のギャング ロスコ―と、悪名高い犯罪者スタンリーの二人に雇われているが、その事実を主人たちは知らない。二人が鉢合わせしないように右往左往するフランシスだが――。伊の作家カルロ・ゴルドーニの戯曲がもとの抱腹絶倒のドタバタ・コメディー。2011年初演で大好評を博し、ウエストエンドでロングランを記録。ブロードウェイでは、2012年のトニー賞7部門(主演男優賞・助演男優賞〈トム・エデン〉・演出賞・楽曲賞・装置デザイン賞・衣裳デザイン賞・音響デザイン賞)で候補に。ジェイムズ・コーデンが見事最優秀主演男優賞を獲得した。
演出
ニコラス・ハイトナー
作
リチャード・ビーンキャスト
• ジェームズ・コーデン
• トム・エデン
• オリバー・クリス
• ジェミマ・ルーパー
主人公のフランシスを演じたジェームズ・コーデンがとにかく秀逸!すごい運動量。それを上回るセリフの洪水。彼ほど才能のある役者でなければ、この作品の「重さ」に潰されていただろう。英国俳優のパワーの桁外れを思い知らされた。能、歌舞伎でもここまでテンションの高さをキープしながら、絶妙な台詞回し、瑕疵の見当たらない動作を完璧にこなせる役者はそうはいない。異様なほどのテンションの高さをここまで保つことのできるのは、まるで超人。
主役を支える役者たちの桁外れさも見もの。こんなけったいな人たちは日本にはいないですよね。枠をはみ出ると制裁を受け、社会コードに合うよう「去勢」されるから。こういうぶっ飛んだ芝居を見ると、日本から離れたくなるんですよね。
そして何よりもかによりも、繰り広げられるセリフの洒脱さ!ブロードウェイでもこうは行かない。もっとオーソドックス。ロンドンの凄さはその過激性。NYをその点ではるかに凌駕している。
ゴルゴーニの時代はおそらく仮面を付けて演じていたのだろうけど、この作品は設定が60年代ということで、モロあの時代。ビートルズが出てくるちょっと前?ロックンロール全盛期。それを表すのにロックバンドの楽団が使われていた。音楽もかなりそれっぽいもののオンパレード。劇場は野外に設営されていたので、まるで野外ロックコンサートの雰囲気。この演出も良かった。日本でいえば6、70年代ということになるのだろう。会場の雰囲気からして、もうすでに芝居の中。この工夫は日本のアングラ演劇を思わせる。
おそらくゴルドーニの、というよりコメディア・デラルテの世界観がそのまま出たた舞台になっていたのだろう。それは「古くて新しい」、かつ普遍的なもの。悲劇なら時代、時代の価値観を色濃く反映せざるを得ないけど、喜劇はそれを超える普遍性を必然的に持つ。留保をつけなくても地域、世代の縛りを超えて理解し、楽しむことができる。それが喜劇のすごさだろう。
ここまでドタバタの笑いを徹底させると、最後にちょっと悲しくなるんですよね。なぜか分かりませんが。人の心の機微を感じ取り、それでも妥協して生きざるを得ないサマを振返り、なんとも切ない想いを抱きつつ、生き延びてゆかざるを得ない一般庶民の想い。それが主人公、フランシスの想いでもあるのだろう。この太っちょがちょっと愛おしくなりませんか?
文化人類学的にいえば、フランシスはまさにトリックスター。既存の体制を破壊し、そして対価を求めずに去って行く放浪者。そういや、外見はまるで違うけど、ひょっとしてフランシスはいなせな旅人?そんなことを思いながら見ていた。