yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

彩り豊かな「MUGEN∞能」公演@京都観世会館 10月17日

「MUGEN∞能」を拝見するのは初めて。そうか、こういう感じなんだと納得した。今回は狂言、それも東西の狂言との競演。加えて大阪陣の大槻文蔵師を迎えてのもの。能の方も東京の坂口貴信師が加わっている。つまり、東西の能楽師たちの相乱れての競演ということになろうか。チラシの表裏をアップしておく。

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「MUGEN」はもちろん無限と夢幻を掛け合わせている。能の真髄である夢幻能とその無限の可能性を探るという試みを標榜しているのだと推察する。最初に、主催者の林宗一郎師、坂口貴信師、そして野村太一郎師による演目の解説があった。これは初心者にはとてもありがたいもの。能楽に少しでも近づきやすくするための工夫。野村太一郎さんは最近メディアに露出することも増えているようで、その意味でも若い層を開拓するきっかけになってほしい。

狂言は東西が打ち揃ってのもので、興味深かった。大蔵流狂言(西)では「鶏猫」を茂山七五三師とご子息の逸平師、さらにそのご子息の慶和君の三代揃ってのお披露目になっていた。慶和君は声の伸びがよく、次世代に繋げて行く若手と確信した。

東の狂言は野村太一郎師と野村裕基師との競演。二人とも実に若い。だから、荒削りなところはあるものの、勢いで押し切っていた。それがかえって好ましくお二人の熱量の大きさに感じ入った。東京の人らしく「スマートに」という感じがあるものの、それを超えでる熱量だったんですよね。以前東京で見た狂言とは随分違っていた、いい意味で。

この日のハイライト、能『一角仙人』は、歌舞伎に親しんでいる者にはすぐに『鳴神』!とわかるもの。そうか、『鳴神』の原型は能だったですね。歌舞伎では鳴神上人をたぶらかす美女は非常に存在感があるけれど、能では結構あっさりとしているんですね。ちょっと勿体ない気がしたのは、私が歌舞伎モードでこの作品を見ているからかもしれない。歌舞伎ではこの美女、胸まで上人に触らせるんですからね。色っぽいなんでもんじゃないんです。ちょっと正視できないくらいのエロい場面なんですよ。能はその決定的場はあっさりとやり過ごし、上人(ここでは一角仙人)が「酒に溺れた結果惑わされた」というように演出される。これ、あまり色っぽくない。歌舞伎と比較すると説得力に欠けるのは否めない。そりゃー、誘惑の手段としては古今東西問わず酒よりも美女でしょう。能では演出にはかなり制限が付けられているのだろうけれど、もう一歩踏み込んでもよかったのでは。もちろん、「ないものねだり」なのは承知ですが。

そういう演出にすると、龍神が少女であることが逆に生きるのではないだろうか。あまりに「ジェンダー論」的視点に流されるのは慎むべきかもしれないけれど、妖艶な美女にたぶらかされ「俗」に堕ちた仙人に最後のトドメをさすのが「少女の演じる龍神」っていうのも、なかなか面白いのでないかと考えつつ舞台を見ていた。

私たちが現実に生きている場に近づけ一般のファンを獲得するのには、能は歌舞伎とは違ったアプローチ法を編み出す必要があるのではと感じた。そしてその可能性が非常に高いことも確認できた。なぜなら、演者のレベルが非常に高いから。また新しいものを生み出す知的充実度、完成度が高いから。