yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『花月』in 「第四回和久荘太郎 演能空間」@宝生能楽堂7月23日

宝生能楽堂のサイト内に立ち上がった今回の能公演のサイトをリンクしておく。

この日の演者は以下。

シテ(花月) 和久凜太郎
ワキ(僧・花月の父) 殿田謙吉 
アイ(清水寺門前の者) 野村太一郎 

笛  一噌隆之 
小鼓 鵜澤洋太郎 
大鼓 亀井忠雄 

後見 和久荘太郎 / 澤田宏司

地謡 宝生和英 / 山内崇生 / 野月聡/大友順
   小林晋也 / 亀井雄二 / 内藤飛能 / 辰巳和磨

「能.com」からの「あらすじ」が以下。

<あらすじ>
九州筑紫の国、彦山(ひこさん:英彦山とも)の麓に住む人(男性)が、自分の七歳の息子が行方不明になったことをきっかけに出家し、諸国修行の旅に出ます。春の都に着いた僧は、清水寺にお参りします。

僧はそこで、清水寺の門前の人に会い、何か面白いものはないかと問いかけます。門前の人は、花月(かげつ)という少年が面白い曲舞(くせまい)などをすると紹介し、花月を呼び出し、一緒に小歌を謡います。その後花月は、桜を踏み散らす鶯を懲らしめるため、弓を射ようとしますが、仏教の殺生戒に従い、思いとどまります。さらに、門前の人の勧めを受けて花月は、清水寺の由来にまつわる曲舞を舞います。

花月をずっと見ていた僧は、自分の行方不明になった息子だと確信し、名乗りを上げます。喜びの父子対面を経て、花月は鞨鼓(かっこ:腰につける小さい両面太鼓)を打って舞い、七歳で天狗にさらわれてからの旅路を振り返る舞を見せた後、父の僧と一緒に仏道の修行に出ます。

<みどころ>
この曲の見どころはなんといっても花月少年の「芸尽くし」です。さらわれた後に諸国をめぐり、京の都へ辿り着いた花月は、さまざまに舞い謡う遊芸の少年になり、気の利いた物言いで人気を博していました。「恋は曲者」のはやり歌を謡ったり、清水寺の由来を物語る曲舞を見せたり、鞨鼓を打って舞ったり、諸国の山廻りの様子を振り返ったり……。
子別れという重たいテーマの雰囲気はなく、謡も舞もあくまでも軽やかで華やかです。可憐で利発な花月少年の魅せる遊芸を、存分にお楽しみいただけます。

アイの「清水寺門前の者」の存在感も見逃せません。何かにつけ花月に絡み、その芸を次々と引き出します。一曲の進行を司る、これぞ間狂言の真骨頂というものを見せてくれます。

和久荘太郎さんのご子息の凜太郎君、それと野村萬さんのお孫さんの太一郎さん、この二人の若い御曹司たちの「競演」がみどころのひとつ?でも、まだ時期尚早のように私にはうつってしまった。

確かに凜太郎君は<みどころ>にあるように、様々な遊芸を披露する。でも、「それでなに?」って感じた。この演目をわざわざ選んだというのは、おそらくは子役の芸の可愛らしさで「魅せる」という「下心」(すみません)があったのでは。もちろんよく頑張られたんですけどね。解説をされた金子直樹さんの言葉にもあったように、「子役が舞台をさらう」っていうのはよくあること。歌舞伎座でも、宙乗りのサーカス芸で客を動員したというニュースを読んだばかり。だから私はこういう舞台には行かない。歌舞伎はともかく、能は「大人の舞台」ですよ。もちろん「隅田川」、「海士」、「桜川」といった子役が出るものもあるけれど、それはあくまでも脇役として。このようにシテとして主役を張らせるということには、私は抵抗を感じてしまう。

それと、アイの野村太一郎さん。前日の「テアトル・ノウ」の『三笑』ででもアイを務められていた。でも何かしっくりこない。落ち着きがないように見える。舞台全体が軽くなってしまう。そういえば、youtubeでバラエティ番組に出演中の彼を見る機会があった。4年前のものらしい。そこで、祖父の野村萬さんが苦虫を噛み潰したような表情で、彼に稽古をつけておられたっけ。もっともだと、お祖父様の方に同情した。

その中で、ワキの殿田謙吉さんが気を吐いておられた。すでに何回か拝見しているけれど、大きな身体から発せらる声の見事さに魅了される。あまり演技力を要求されない(?)ワキ方でも、その演技の渋さはおのずと伝わってくる。

また、鵜澤洋太郎さんの打つ小鼓の迫力ある音色にも魅了された。きっと大倉源次郎さんのお弟子さんだろうと推察していたら、やっぱりそうだった。似ているんですよね。格調の高さが。

地謡も馴染みのない方々ばかり。和久荘太郎さんの地元、名古屋、それと東京の方ばかり?この舞台を見ながら、能・狂言はやっぱり京都、大阪だと思ってしまう私は上方人なんでしょうね。あっと、先日感激(観劇)した喜多流は今は東京なんでしょうか?