yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『河内十人斬り』劇団花吹雪@羅い舞座京橋劇場7月20日昼の部

このお芝居を演じるのは初めてという劇団花吹雪。力のこもった舞台だった。最後のシーン、なかなか席を立たない客。と、幕が上がり、今心中したばかりの座長、春之丞さんと同じく座長、京之介さん二人が再登場。血糊にまみれた衣装のまま舞台から挨拶。大きな拍手が起こった。感動的なカーテンコールだった。春之丞さんの熊太郎、京之介さんの弥五郎、それぞれにニンにあった役で、二人の凸凹ぶりが堂に入っていた。それが舞台を感動的にした大きな理由の一つだと思う。

Wikiからの「河内十人斬り」解説一部は以下。

河内十人斬り(かわちじゅうにんぎり)は、1893年(明治26年)に大阪府南東部の金剛山麓の赤阪水分(あかさかすいぶん)村で起こった殺人事件。金銭・交際トラブルによって、名前通り10人殺害されて当時のビッグニュースとなり、小説・芝居にも使われ、大阪の伝統芸能である河内音頭の代表的な演目となった。

河内音頭に歌われていることから、全国的に有名になったらしい。以前八尾でタクシーに乗った折、運転手さんがこのさわり部分で、自慢の喉を披露してくださった。凄みがあった。

この日の配役は以下。

城戸熊太郎   春之丞
妻 おぬい   彩夜華
谷弥五郎    京之介
おぬい母おとら かおり
松永傳次郎   純弥
松永寅次郎   愛之介
警官      京誉

恋川純弥さんとその弟子さんに加えて、東映から(?)殺陣師が三人助っ人ゲスト。この人数なので、立廻りは迫力満点だった。実際にあった大量殺人事件がモデル。以下に大まかな筋を。

熊太郎は河内の博打打ち。彼が出稼ぎに出ていた間に内縁の妻、おぬいは土地の実力者、松永傳次郎の弟、寅次郎と密通していた。帰ってきた熊太郎は現場をおさえ、二人を問い詰めるが、逆にいなされボコボコに殴られる始末。おまけに、おぬいの母のおとらは嫁にやった覚えはない、家に戻して欲しければ25円払えとすごむ。

怒った熊太郎、おとらが言った25円の算段をするのに、以前に賭場で松永傳次郎に50円貸したことがあったのを思い出し、傳次郎宅に乗り込む。しかし、傳次郎とその子分に散々なぶりものにして放り出される。傳次郎の家ではすでにおぬいが寅次郎と同居していた。

監獄から出てきた熊太郎の舎弟、弥五郎は熊太郎に同情、殴り込みをかけようとするが熊太郎に止められる。弥五郎宅で養生していた熊太郎。殴られた傷が癒えてきたので、傳次郎宅へ殴り込みをかけようと計画している。が、一緒に行ってくれると言っていた弥五郎はまたもや収監されている。

ようやく、あてにしていた弥五郎が帰ってくる。二人は殴り込み装束に身を固めた。弥五郎の留守中に仕込んだ日本刀や仕込み杖、猟銃を携え、二人は傳次郎宅に向かう。

傳次郎宅。寅次郎は傳次郎の使いで京都に行って留守。そこに二人が殴り込んで来る。傳次郎、その家族、おとら、おぬい、そして子分たちを皆殺しにして、血まみれになった二人。熊太郎は傳次郎に歯向かわれて手負いになっている。で、肝心の寅次郎を探すが、いないことに気づく。熊太郎は寅次郎が京都に使いに出される予定だったことを思い出し、悔しがる。

二人は寅次郎を討つべく、金剛山から京都へ抜けようとする。地元の警察に、大阪府警も加勢、山探しをする。金剛山山中を逃げ惑い、民家を襲っては食料を調達していた二人。しかし、追っ手が迫ってきているのを知る。これまでと観念した熊太郎、水を汲んでいた弥五郎を後ろから刺す。「なぜだー?!」と絶叫する弥五郎。彼に向かって、もう後がないので、二人で死のうと説得する熊太郎。泣いている。こちらも泣きながら受け入れる弥五郎。断末魔に苦しむ弥五郎を傍らに、自分に向けて足で猟銃の引き金を引く熊太郎。弥五郎に重なるようにして倒れこむ。上からはスポットライト。心中した二人をその光が包む。

壮絶としか言いようのない最期の「心中」。でも弥五郎の熊太郎への曇りのない一途なまでの愛情が胸に喰いこむ。痛い。この事件が後々まで語り継がれることになったのは、事実がどうであれ二人の恐ろしいまでの同志愛が人の心を討つからに違いない。

以前に二度他劇団でこの作品を見ている。どれも良かったけれど、花吹雪版がもっともリアルだった。それは地元ということもあったかもしれない。それ以上に構成が緻密だったことがあるだろう。ドラマの起承転結をきちんと図っていたのが大きい。冷静な判断が効いていた。最後の場面、最初に他の劇団で見た折に同性愛の匂いがすると書いたのだけど、それは今回も同じ。同性愛的な強い深い愛情。偏執とまでいえそうな二人の絆(この言葉はあまり使いたくないのだけど)。他者を一切受け付けない潔さ。行き着く先は、当然二人の死、心中しかない。

これはサブライム「崇高」の域。それ以外の言葉がない。悲劇の完成度が高かった。

見ている側にもカタルシスがあった。京橋劇場の通路を出口に向かう折、観客が口々に褒めているのが聞こえてきた。悲劇が悲劇として成功した例だと感じた。アメリカの大学院時代の指導教授だったリンダ・C先生を同伴したのだけど、ここまでレベルの高い舞台をみていただけて、鼻が高かった。

この日は京之介さんの座長襲名6周年に当たるということで、一部の舞踊ショーと二部のお芝居の間にお祝いごとがあった。ケーキも上がり、場内一同でお祝いができた。