<お芝居>
この芝居は他劇団でもみたもので、大衆演劇にはよくかかる人気狂言の一つ。実際に大阪河内で起きた陰惨な大量殺人事件が題材になっている。「河内音頭」に謌われて、広く人口に膾炙したもの。時は明治26年5月。場所は大阪府、金剛山麓の赤阪水分村。中心人物は博打打ちの熊太郎とその舎弟の谷弥五郎。事件のあらましというのは、この二人が熊太郎の妻、おぬいとその母、そしておぬいの密通相手の一家、十人を惨殺したというもの。
大量殺人といえば、これまた大阪が舞台の『夏祭浪花鑑』を連想してしまう。事件の原因になった出来事はそれぞれ違ってはいるが、どちらも実際の事件がもとになっている。「大量殺人」という陰惨はなぜか人の血を騒がせるらしい。マゾヒスティックな嗜好をかき立てるからか。しかもこの事件を起こした二人の男の、友情というにはあまりにも緊密な「絆」に、なにか同性愛的な匂いを感じてしまうからかもしれない。
Wikiの「解説」にほぼ忠実に小泉版の『河内十人斬り』は進行していた。ということで、Wiki の解説を借用させていただく。小泉版の配役も挿入しておく。
この事件の犯人は、村民で博打打ちの城戸熊太郎(たつみ)とその舎弟の谷弥五郎(ダイヤ)で、熊太郎の内縁の妻おぬい(京香)が、村の顔役の松永傳次郎(宝)の弟、松永寅次郎(大蔵)と密通していた事が発覚したことから、事件は起きた。
熊太郎が激怒して別れ話を切り出したが、おぬいの母おとら(小龍)が「お前とおぬいが一緒になる時に自分に毎月仕送りをする約束だったのに、全然仕送りを貰っていない。別れるなら払わなかった分を全部払ってから別れろ」と熊太郎をなじった。
仕方なく熊太郎は金を払うことにしたが、博打打ちでその日暮らしの熊太郎には、まとまった金が無く金策に奔走した。そして昔、博打で勝っていた時に、松永傳次郎に金を貸していたことを思い出し、返してくれるように頼んだが、傳次郎は記憶に無いと言い張って、子分を使い熊太郎を袋叩きにした。松永一家に女を盗られ、借金まで踏み倒されて半殺しにされた熊太郎は、舎弟の弥五郎に押されて仕返しを決める。
傳次郎に半殺しにされた熊太郎は弥五郎の家で養生して、復讐のための準備をし始めた。傷を治してからまず捨て身の覚悟でやるために自分の墓を用意して、それから京都・奈良・大阪を見物しながら日本刀や仕込み杖、猟銃を買い時機を待った。
明治26年5月25日、刀を差し、猟銃を抱えた熊太郎・弥五郎は雨の深夜を狙って犯行に及んだ。熊太郎の妻おぬいとおぬいの母親おとら、松永一家に乗り込んで松永傳次郎と傳次郎の妻と傳次郎の子供2人、そして傳次郎の長男松永熊次郎の家に乗り込み、松永熊次郎と熊次郎の妻と熊次郎の子供3人と生まれて間もない子供も含め11人を殺害した。
しかし、事件の発端となったおぬいの浮気相手の松永寅次郎は京都の宇治へ行って難を逃れていた。それから乗り込んだ家に火薬を仕込み灯油をまいて放火して金剛山へ逃亡した。
翌日26日に地元の富田林警察署に通報が入り、事件が発覚する。大阪府警本部からの応援も駆けつけ、逃亡したと思われる金剛山に非常線を張ったが、二人はなかなか捕まらず、食料を強奪されたとの報告が来るばかりだった。
痺れを切らした捜査本部は、山狩りを開始したがイタチごっこが続いた。しかし事件から2週間後、金剛山中で二人の自殺死体が発見され、事件は解決した。
恨みを晴らすとはいえ、十人も斬り殺したというその過激さ。男同士の「心中」という最期の理不尽さ。この二つの要素が、まさにその非合理性で人の胸を打つ。だからずっと歌い継がれていっているわけだし、舞台に何度も乗るのだろう。
小泉版はこの解説にほぼ沿ったものだった。ただ、暴力(バイオレンス)度はかなり抑え気味だった。やわらかい穏やかな雰囲気に纏められていた。「上品に」という方針からは、これは当然の演り方だと思う。でも私としてはちょっと不満。血なまぐささがほとんどなかったから。また「兄弟」の最期の場面にあまりエロティシズムが立ち上がってこなかったから。この事件そのものが謎に包まれているのは、そこに人の心に波風を立てるエロ/グロがあるからだろう。まぁ、たつみさんとダイヤさんにそれを期待するのは、それこそ「ないものねだり」なんでしょうけどね。
芝居冒頭にダイヤさんが「語り手」として登場。事件までのあらましを説明するというのは、よく考えられた演出。また、閉めた幕前で舞台を続けるというのも、時間を稼ぐのにいい工夫。それでも時間を大幅にオーバーしていた。