yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『鶴八鶴次郎』劇団花吹雪@新開地劇場9月22日昼の部

衝撃的だった。大衆演劇がここまでやれるのかと。この翌日の23日に新派の『振袖纒』と『深川年増』を見たのだけど、作劇の上で、清新さの点で劇団花吹雪のいわゆる新派劇にはるかに及ばなかった。「本家」である新派のお株を奪った感じがした。川口松太郎の原作にある雰囲気を残しつつ、それを現代の文脈に組み込んで今の芝居として提示する(presentする)お手並み、素晴らしかった。そのひとことに尽きる。

役者が揃っていた。春之丞 さんの鶴次郎が良かったのは予想どおりだったけど、京之介さんの鶴八には唸った。私のイメージの中には依然として7年も前のまだ十代だった彼の姿があるので、こんなに大人びた役を説得力ある演技で演り果せるとは、予想外だった。

ここまでに仕上げるには、日頃の積み重ねがあったと推測している。春之丞 さんと京之介さんの「芝居研究」がこの結実を結ばせたに違いない。そう考えると、目頭が熱くなってしまう。どれほどの時間を労力を精神をそれに注ぎ込んでこられたことか。大衆演劇でこういう「冒険」をすると得てして「こける」ことが多い。観客に鑑賞眼を期待できないから。でもそれに甘んじないで、新しいこと、ひょっとしたら失敗するかもしれないことにあえてチャレンジする精神に乾杯!

以下に新派の公式サイトから拝借したこの芝居のサマリーを載せておく。

川口松太郎作 『鶴八鶴次郎』
昭和10年の第一回直木賞を受賞した作品を、13年1月に明治座で初演。川口新派劇の傑作として評価を上げた作品。

<あらすじ>
大正時代の東京に鶴賀鶴八、鶴次郎という新内の名コンビがいた。二人は心の中ではお互いを尊敬し憎からず思っていたが、芸のこととなると譲らないのでいつも喧嘩していた。

大正8年正月も大入りの舞台を終え、部屋へ帰ってきた二人は上機嫌でお互いに褒め合っていたが、鶴次郎が三味線の手について一ヶ所注文を出すと鶴八はカチンときて喧嘩になり、支配人の竹野に諭される始末。鶴八は自分のあまりの気の強さから鶴次郎に嫌われているのではないかと女心に案じていた。彼女には料理店伊豫善の主人・松崎という贔屓があり、求婚されているのだ。鶴八は鶴次郎を慕いつつも、鶴次郎の頑固さからいっそ伊豫善の申し込みを受けようかと考えることもあった。その年の4月、鶴八は大阪の名人会が済むと高野山に亡き母・先代鶴八の遺骨を納めに行く予定を果たそうと鶴次郎と出かけた。そこで鶴八は思い切って伊豫善へ嫁に入ろうかと思うと明かす。鶴次郎が愕然とし、嫁に行くなら私の所に来てくれと泣くのを見て、鶴八は胸をときめかし、二人は意地を忘れてお互いの恋心を打ち明け、夫婦の誓いを交わすのだった。それから1ヵ月後、鶴八は亡き母の願いだった鶴賀の名のついた寄席を伊豫善の資金援助で経営することになった。その打ち合わせで伊豫善が鶴八の自宅へ来て話し合っていると、嫉妬にかられた鶴次郎が血相を変えて飛び込んできた。鶴八も伊豫善も色気抜きの後援だと宥めたが鶴次郎はいきり立つばかり。ついに鶴八も頭にきて強い言葉を返すと、鶴次郎はお前との仲もこれきりだと言い放って飛び出してしまった。

それから2年。場末のうらびれた寄席にいる鶴次郎の元に、伊豫善の妻となった鶴八が訪ねて来る。鶴次郎の事が忘れられず、彼をもう一度晴れの舞台に復活させたいと迎えに来たのだ。鶴次郎は、夫の許しを得た鶴八と二人で再び名人会に出演した。昔以上に芸が上がっていると絶賛を博した2人だったが、楽屋へ引き揚げてきたところで鶴次郎は鶴八の三味線に難癖をつけ始めた。鶴八は烈火の如く怒り、鶴次郎も引かないので二人は再びもの別れになってしまった。その夜、鶴八の番頭・佐平が居酒屋で酔いつぶれている鶴次郎を発見し短慮を諌めると、鶴次郎は、鶴八を心から愛していて、だからこそ芸道に引き戻して今の幸せを損ねたくなかったと本心を明かす。佐平は何も言わずに盃をさし、鶴次郎は再び酔いつぶれるのだった。

鶴次郎が頽廃に身を持ち崩すという感じは、映画版の長谷川一夫の方がリアルだったかもしれない。何しろモノクロですから悲壮感が違います。でも現代の観客に訴えるという点では、春之丞鶴次郎の方がずっと優れていた。ずっと現代的だった。説得力があった。

気の強い鶴八役、映画では山田五十鈴が演じたので、それと競うのはさぞ大変だっただろう。でも京之介さんはそういう前のコンテクストを飛び越えて、今、ここにいるかのような鶴八を演じて見せた。ここが大事だと私は思う。今の役者の身体を通して立ち上がってくるキャラクターでなくては、同時代を生きる客は納得しないだろうから。

脇もしっかりとしていた。花吹雪の強みは優れた役者が脇を固めていること。愛之介さん、梁太郎さん、かおりさん、それに座長お二人のお父上たち。こう見てくると花吹雪もすっかり「大人の劇団」に変貌したのだと、否応なく思い知らされる。いい意味で。

大満足だったのだけど、もう一度見たいと願っている。11月の京橋でかかることを切に願っている。