今年の10月22日に収録されたもの。イタリア語。
今日は私の誕生日。この日を寿ぐ(?)のにこの「祝祭オペラ」はぴったりだった。風邪気味で鬱だった精神状態をいっぺんにアップしてくれた。感謝。
何といってもモーツァルト!悲劇なのに明るい。伸びやかさが舞台隅々にまで行き渡る。ウキウキ感に満ち満ちている。メトロポリタン歌劇場の何千という観客もこのウキウキ感に感染、舞台と一体化しているのが、映像からもよくわかった。
そういや3年前にはこのメトロポリタン歌劇場で『マダム・バタフライ』と『ドン・キホーテ』を観たのだった。感無量。あのときもカーテンコールで観客は総立ちだった。ヨーロッパの劇場の観客も素晴らしいけど、METのそれはちょっと独特。あれ、やっぱりアメリカ的。『マダム・バタフライ』は一番安い(確か)4階席で見たんだけど、その時の感激を反芻させられてしまった。それまでうろうろしていた(何しろ立ち見だったので)周りの人たちが一斉に舞台に向かってエールを送っていた。あの一体感!1階のStall席で『ドン・キホーテ』で見たときよりも、ずっと感動が強かったし深かった。Stall席の周囲の客たちはもっと「お澄まし」した客だったから。
日本ではお行儀よく見るんでしょうね。それはそれで真っ当だと思うけど、あのアメリカの客の「ぶっ飛びぶり」も懐かしい。
この『ドン・ジョヴァンニ』自体がそういう祝祭性というか、ぶっ飛びぶりを寿ぐ演目ですよね。あの暗くて重いワーグナーのオペラとは全く違っている。底抜けに明るい。あまりにも明るいので、逆にその陰の部分を感じてしまわざるを得ない。もちろんその陰の部分にはドン・ジョバンニの「悪行」の結実が列挙されるんでしょうが。
ドン・ジョバンニという女たらし、文化人類学的にいうとトリックスターが、女と見れば手練手管を駆使してたらしこむ、その明るさ、滑稽さ。それの影絵となっている「たらし込まれた」女の家庭の「悲劇」。審判者に「地獄行き」を言い渡されても、なおかつ自身の性癖、行状を改めない。
これはきっと男性というより、普遍性を持つがゆえに人間一般の憧れかもしれない。キリスト教の世界では異端児。その価値観を根底から覆すから。価値観の転覆という役割を彼に担わせ、最後には彼を禊の代償として差し出す。それによってキリスト教世界が救われる。イエス・キリスト的な役割を負ってもいるのが、まさにこのドン・ジョバンニ。
どの演者も素晴らしかった。印象に残っているのは、主要歌手全員がこの暗さというか、陰の部分を意識していたこと。幕間のインタビューでそれがわかった。METの歌手がいかに知的かがよくわかるインタビューだった。以下にプロダクション詳細を。
指揮
ファビオ・ルイージ
Fabio Luisi演出
マイケル・グランデージ
Michael Grandage《ドン・ジョヴァンニ》
サイモン・キーンリーサイド
Simon Keenlyside
バリトン《ドンナ・アンナ》ヒブラ・ゲルツマーヴァ
Hibla Gerzmava
ソプラノ《ドンナ・エルヴィーラ》
マリン・ビストラム
Malin Byström
ソプラノ《ドン・オッターヴィオ》
ポール・アップルビー
Paul Appleby
テノール《レポレッロ》
アダム・プラヘトカ
Adam Plachetka
バスバリトン<ストーリー>
伝説のプレイボーイ「ドン・ファン」の没落を優雅にして劇的な音楽で描くモーツァルトの大傑作!女という女を魅了し振り回す大胆不敵なドン・ジョヴァンニの行く手をさえぎるのは誰か?MET首席指揮者F・ルイージの情熱的な指揮のもと、現代最高のドン・ジョヴァンニ S・キーンリーサイドを、きらめく新星H・ゲルツマーヴァ、透明感あふれる声が魅力の美女マリン・ビストラム、コケティッシュな声と演技で魅了するS・マルフィら粒選りのキャストが追い詰める!
18世紀のスペイン、セヴィリャ。貴族のドン・ジョヴァンニは、2000人以上の女を陥落させた筋金入りの女たらし。今日も騎士長の娘ドンナ・アンナに夜這いをかけるが、騒がれて逃げだしたところを騎士長に見つかり、殺してしまう。懲りないジョヴァンニは村娘ツェルリーナを口説こうとして、棄てた女のドンナ・エルヴィーラに邪魔される。何かがうまくいかないと首を傾げる不敵なドン・ジョヴァンニに、破滅の時が近づいていた…。
ドン・ジョバンニを演じたサイモン・キーンリーサイドはケンブリッジ大学出の秀才。でも秀才っぽくない。また男前でもない。でもその才覚で、饒舌で女を言いくるめてゆく。そこがいかにもドン・ジョバンニ。彼の口説を聞いているだけで、ウキウキしちゃうんですよね。幕間のインタビューワーの質問に答えて喋るは喋るは。「discourse」(文学批評的には「言説」)なんてことばを使っちゃって、その上ダーウィンの「種の起源」まで引用しちゃって実に知的。
ドンナ・アンナを演じたヒブラ・ゲルツマーヴァはモスクワ出身。美しいコロラトーラソプラノ。でも私的にはエルヴィーラを演じたマリン・ビストラムが好み。この方、キーンリーサイドの向こうを張って知的。インタビューの答えが実に的確だしユーモアセンスも抜群。美人です。
脇役ではレポレッロ役のアダム・プラヘトカが素晴らしかった。表現力の権化。それでキーンリーサイドに対峙していた。同格であっぱれ。
いきいきとした指揮ぶりのルイージも素晴らしかった。METで見てきた指揮者ではもっともイタリア的というか、ラテン的だった。