yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『江戸みやげ 狐狸狐狸ばなし(こりこりばなし)』大阪平成中村座@大阪城西の丸庭園内 特設劇場 10月30日昼の部

「歌舞伎美人」からの配役とみどころ,そして写真が以下。


<配役>
手拭い屋伊之助 中村 扇 雀
女房おきわ   中村 七之助
雇人又市   中村 勘九郎
福造      中村 国 生
屋台そば屋   中村 虎之介
おいね     中村 歌女之丞
おそめ     片岡 亀 蔵
法印重善    中村 橋之助


<みどころ>
 浅草・吉原田圃の小長屋に住むのは、以前は上方の女方役者で、今は手拭屋を営む伊之助と女房おきわ、そして雇人の又市。実は、夫の執着に嫌気がさしているおきわは、法印重善と深い仲。しかし、その重善には成金娘との縁談話があった。嫉妬をするおきわに対して重善は、伊之助を殺したら夫婦になると約束をする。翌日、河豚鍋を用意しておきわの世話をする伊之助は、又市が買ってきた染薬を見て、この染薬は毒薬だからと扱いに注意を促した。これを聞いたおきわが、隙を窺いお椀の中に染薬を入れると、それを食べた伊之助は苦悶の末に倒れてしまう。
 伊之助の弔いも済み、焼き場から戻ったおきわと重善は夫婦になる約束をするが、翌朝、家には死んだはずの伊之助の姿が変わらずあった。幽霊かどうかを確かめようとする重善たちは、再び伊之助を殺害しようと計画。しかし、その後も伊之助は重善やおきわの前に現れ…。

 狐と狸の化かし合いよろしく、男と女の色欲が絡み合った中で、二転三転の騙し合いが展開する、終始笑いが絶えない北條秀司の傑作喜劇です。昭和36(1961)年東京宝塚劇場で法印重善を十七世勘三郎が勤め、森繁久彌、山田五十鈴、三木のり平らで初演。その後、十八世勘三郎が歌舞伎として上演を重ねた中村屋に所縁ある『狐狸狐狸ばなし』をお楽しみください。

『狐狸狐狸ばなし』では十八世勘三郎が何度も手がけた伊之助を、扇雀が勤めます。強烈な個性の登場人物たちの駆け引きに、物語の展開がわかっていてもついつい笑ってしまう、抱腹絶倒の芝居です。

十八世勘三郎が伊之助をなんども演じたのだという。いかにも彼好み。こんなにやりがいのある役もそうないだろう。上方の女方出身という想定の伊之助。彼自身が女形もこなし、父の十七世も上方の血を受け継いでいたので、この役はぴったり。彼の伊之助を見逃したのが残念。きっと大ケッサクだったに違いない。

でも扇雀も負けてはいなかった(はず)。代々西の成駒屋の女形。しかも十八世とはコクーン歌舞伎、平成中村座で共演した盟友同士。いかにもうれしげに、上機嫌で演じきっていた。喜劇のセンス抜群なのは『野田版 研辰の討たれ』『野田版 鼠小僧』で証明済み。しかもそれが上方前で、無理がないのがいい。どういったらいいのか、もと女方役者の、なよなよした頼りなげな男。その優男が坊主に女房を寝取られているという状況に「立ち向かう」ところがおかしい。もちろん正攻法では相手に負けてしまう。だから「弱い優男」の知恵を働かせて、女房の裏をかく。というか「かいたはず」だったのが、女房の方がウワテだったというオチ。こういう逆転につぐ逆転劇で笑いを取るのはいかにも関西。

女房おきわ役の七之助も、法印役の橋之助も良かったのだけど、でも上方ならではのくどさを出し切るにはちょっと力不足。力不足というより、文化背景の違いから来くる必然的違いだったのかも。唯一扇雀のみがぴたりとはまり役だった。彼自身は東京生まれの東京育ちだけど、父母ともにどっぷりと大阪ですものね。空気感がちがう。その点十八世は「関西に住みたい」なんて言っていたこともあるほど、上方の笑いに入れ込んだ人。ツボが身体で分かっていたのだと思う。彼の伊之助を観たかったなぁー、ナンて。

実はこの芝居は大衆演劇で観ている。それも実際の舞台ではなく、DVDで。「新開地劇場開場記念第三回冬華祭」(2011年12月16日)でのもの。

伊之助を姫京之介、おきわを恋川純、法印を都若丸、そして牛娘のおそめを伍代孝雄、又市を桜春之丞という配役だった。それぞれのニンにこれ以上ないほどびったり。おきわ役の恋川純、法印の都若丸が最高の組み合わせだった。とくに恋川純のおきわ、説得力があったし、なによりもパワーがあった。都若丸はナマグサ坊主然とした滑稽味と、いかにも女にモテモテという感じを上手く出して、秀逸だった。姫京之介は九州役者のくどすぎ感があったのが、残念だったけど、でもこの夫婦の絡みもおかしさが最高だった。また、牛娘の伍代孝雄がすばらしかった。しつこく法印に迫る図が目に浮かぶ。お芝居としては、こちらの印象が強烈だったので、歌舞伎版があっさりと見えてしまうくらい。

「幽霊」役の扇雀が客席を歩いたりするところなんて、大衆演劇っぽさが出ていた。平成中村座の特設劇場自体が歌舞伎の劇場よりずっと規模が小さかったのも、舞台と客席が近い大衆演劇のそれを思わせた。昔の歌舞伎、歌舞伎小屋の雰囲気はかくあったのでは。この規模が歌舞伎であれ、他の演劇であれ、演者にとても客にとってもcomfortableなのではないだろうか。