以下、「歌舞伎美人」からの解説と写真。
<配役>
此下兵吉 中村 勘九郎
<みどころ>
小田春永の館にある奥庭へやって来たのは、先頃、小田家に召し抱えられた此下兵吉。御殿を窺う兵吉の様子を不審に思った奴たちが取り押さえると、兵吉は好みの能をうかがっていたのだと明かすので、奴たちは兵吉に舞を所望する。そこで兵吉は扇を手に舞を舞い始め、猿回しの様子を面白く真似たり、遊女たちが戯れる様子を賑やかに踊ってみせたり。やがて、奴たちは兵吉の腕を試すように、再び打ちかかるが…。『三升猿曲舞』は、小田春永(織田信長)に仕える此下兵吉(木下藤吉郎)が曲舞を舞うという趣向です。文政2(1819)年の江戸河原崎座での初演を勤めたのが七世市川團十郎であったため、外題に「三升」がついています。「三升」と書いて「しかくばら」と読ませるのは、この作品が狂言『靭猿(うつぼざる)』の猿歌の件を踏まえているから。木下藤吉郎が猿と呼ばれていたように、猿回しの踊りも入り、愛嬌と飄逸な舞踊がみどころです。幕切れの花槍を用いての所作ダテも華やかなご当地所縁の長唄の舞踊をお楽しみください。
大坂城を造った木下藤吉郎(豊臣秀吉)ゆかりの舞踊、「三升猿曲舞」。クライマックスで舞台後方の壁が倒れ、セットの一部のように西の丸公演が見える趣向。借景を舞台に取り込む工夫が斬新。
THEATERCRIPから、勘九郎談。
「20分くらいの踊りですが、立もあって派手にやります。ここの演出も見ものです! 中幕の踊りを何にしようかといろいろ候補が挙がって悩んだのですが、中村座のよさをお客様に楽しんでいただきつつ、太閤様ゆかりのもの、と考えこの演目を選びました。スカッと見られる踊りになっております」
コントラストの妙も鮮やか。兵吉の着物は白地に黒・金模様。対する奴たちの着物は赤。上背のある勘九郎が軽妙に、華やかに舞い踊る。みどころにあるように、猿回しの様子、遊女たちの遊ぶ様子と変化をつけているのがおもしろい。そこに殺陣が入るのも、踊り手のオトコっぽさ、若々しさを強調するアクセントになっていて、前半の舞踊とコントラストを形成している。
最大のコントラストになっているのは、舞台という虚構の世界と借景という形で取り込まれた西の丸公演に風景だろう。「おしゃれ!」と思わず叫んでしまった。
大阪城をどう上手く使うかということに、勘九郎が知恵を絞ったのが窺える舞台。おみごと!最後にその意図を語る勘九郎談をもう一つ。
「『大阪平成中村座』をテーマパークのように楽しんでほしいですね。昔の芝居小屋のように靴を脱いで上がってもらいますし、江戸時代にタイムスリップできると思います。現代に出現する江戸時代の芝居小屋の雰囲気を存分に味わってほしい。」
歌舞伎舞踊が現在の形になる途中で、「なんとか舞」の類いが流れ込んで来たのだろう。曲舞もそのひとつ。「三升」とあるのは、この舞踊が元は成田屋のものだったから?どういう経緯で成立したのか、なぜ「しかくばしら」と読むのか、この解説だけでは分からないので、調べなくっちゃ。