副題は「片岡愛之助四役早替り宙乗り相勤め申し候」。
もう3週間も前の観劇。正直、なぜ「八人の犬士」でなくてはならないのか、なぜ「犬」なのか、人物間の関係とその由縁といったことが、私の中で意味をもって立ち上がって来ず、なかなか記事を書く気になれなかった。以前に観た折も(このときも愛之助の座頭だったけど)、ひとつの芝居としての必然、つまり有機的な意義を感じられなかった。もとの『八犬伝』について知らないので、当然といえば当然かも。高田衛著、『八犬伝の世界』(ちくま学芸文庫、2005年)を読んで、やっと腑に落ちたところが多々あった。
今回の配役と概要を「歌舞伎美人」より拝借。
<配役>
崇徳院/扇谷定正/網干左母次郎/犬飼現八 片岡愛之助
犬山道節 市川右近
犬田小文吾/足利成氏 市川男女蔵
犬塚信乃 中村萬太郎
犬川荘介 坂東巳之助
犬村角太郎/里見義成 中村種之助
伏姫 中村米吉
犬坂毛野 中村隼人
犬江親兵衛/濱路 中村梅丸
内儀おしま 澤村宗之助
亀篠 坂東秀調
仙女 市川門之助<みどころ>
滝沢馬琴の名作を歌舞伎化。伏姫の体内から飛び散った八つの光る玉を持つ「八犬士」が集結し、乱世を鎮めるべく活躍する冒険譚。平成25(2013)年、大阪で大好評を博した演目をいっそう練り上げ、片岡愛之助が再び挑む。
2013年2月20日に松竹座でも観て、このブログ記事にしている。その折の配役を私の記事にアップしていなかったので、テータベースで確認した。今回の配役とパラレルに記載してみる。
崇徳院・扇谷定正・網干佐母次郎・犬飼現八 = 片岡愛之助(6代目)
犬山道節 = 坂東薪車(4代目)
足利成氏・犬田小文吾 = 中村萬太郎(初代)
犬塚信乃 = 尾上松也(2代目)
下男額蔵実は犬川荘介 = 坂東巳之助(2代目)
犬村角太郎 = 中村種之助(初代)
里見伏姫 = 中村梅枝(4代目)
旦開野太夫実は犬坂毛野 = 中村壱太郎(初代)
犬江親兵衛 = 上村吉太朗
濱路 = 中村梅丸
内儀おしま = 片岡松之亟(2代目)
亀篠 = 片岡秀太郎(2代目)
仙女 = 上村吉弥(6代目)
まとめると、前回と同じ配役は以下。ワルの三羽がらす、崇徳院・扇谷定正・網干佐母次郎と犬飼現八は愛之助。濱路は同じく梅丸。角太郎も同じく種之助。さらに、下男額蔵(実は犬川荘介)の坂東巳之助もそのまま。
入れ替わりがあったのは伏姫、小文吾、信乃。伏姫は梅枝から米吉に。小文吾は萬太郎から男女蔵に、萬太郎は信乃に役替え。あと、信乃の松也と毛野の壱太郎が外れている。かなりの役が以前の踏襲。以前よりもまとまりがある感じがしたのは、その所為かもしれない。
愛之助には充実した気を感じとれた。宙乗りも松竹座の時より、よりダイナミックだった。中日劇場の天井が高く、またロープも斜めに掛けることが可能だったからかもしれない。格段に「距離」が伸びるから。また高いところから2回ばかりぐーっと客席すれすれに降りるという演出も以前はなかった?これ、わくわくさせる演出で、お客さん大喜び。また、崇徳院はもちろんのこと、扇谷定正、網干佐母次郎といった悪役も以前よりも「大きく」描かれていたよう。ただ、悪霊のアイコンになっている崇徳院は、上田秋成の「白峯」を読んで以来、また三島由紀夫が愛好したこともあり、私にとっては「アイドル」なので、もっとすごみを効かせて欲しかった。けっこうアッサリしていた。「発端」のみだし、全体のバランスの問題もあるから難しいのだろうけど。
私のひいき目もあるかもしれないけど、犬川荘介役の巳之助が良かった。どんな場に出て来ても、さっと目がそちらに行く。声がとびぬけて良いのもあるかもしれない。それ以上になにかあるんですよね。地味な感じなのに、華がある。
やっぱり米吉がよかった。これは昼の部の『雪之状変化』と違い、出番はそうないのだけど、それでもしっかりと存在主張していた。この人、ただものではない。
種之助も義成の「呆けぶり」が良かった。3月にみた花形歌舞伎の「白浪五人男」での鳶頭清次に感心したのを思いだした。ちょい役だったけど、存在感があった。1月の浅草歌舞伎のときより、ずっと成長した感じ。
右近は犬山道節がニンにぴったり。ちょっとこれ以上の配役は考えられないかもしれない。ぐっと堪える役。昨年10月に観た『俊寛』が素晴らしかったのを思いだした。
あと、若手の隼人、萬太郎、梅丸、それぞれにニンにあった役を振り当てられていた。こういう風に若手をどんどん起用すると、彼らも伸びるし、なによりも観客サービスとして上々だと思う。若い人の気は大御所にはないものだから。それが舞台に充満、化学反応を起こすことで、中堅の役者もより充実した演技を披露できるだろう。たがいに良い相乗効果が生まれる。
気になったのが原作、『南総里見八犬伝』との違い。それもかなり根本的(essential)なもの。高田衛さんの『八犬伝の世界』によると、馬琴の読本(よみほん)では、八人の犬士が生まれたのは伏姫と犬との「結婚」によるものになっている。この芝居ではそれが弟、義成との近親相姦によって出来た子供ということになっているので、展開する世界がまったく違った様相を呈することになってしまうだろう。また、高田さんは伏姫と犬との異類婚姻譚にこの読本読解の基底を置いている。それは北村透谷の「神聖受胎論」をより発展させたもので、従来の解釈とかなり違っていた。学界ではこういう説はcontroversialで、ずいぶん叩かれたようだけど。いずれにしても『八犬伝』の「構造的統一体」の核心部を伏姫に置いているわけである。その点でも、所々で再登場はあるものの、伏姫がそう重要な役割を与えられていないこの舞台は(高田説に倣うなら)、原作世界とはかなり違ったものになっている可能性がある。
「原作を読みもせずに何を言っている」といわれても仕方ないので、読むしかないかも。高田さんと違い、原作を手許において丁寧に読む快感に耽るなんて、出来そうもないけど、挑戦してみようかとも思う。江戸読本の、というか戯作の世界は高田さんならずとも、はまり込まずにはおれない限りなく魅惑的世界であろうから。