今日、久しぶりに三宮のジュンク堂に立ち寄ったら、この本が真っ先に目についた。
「蕎麦」とくれば、池波正太郎でしょう!と手に取ってみれば、やっぱり最初が彼のエッセイ「蕎麦」だった。うれしくて、その場で読んだ。もう手あかがつく程読んだエッセイなんですけどね。これは「アンソロジー」と銘打っているだけあって、著名人38人の「蕎麦談義」が収められている。どれも蕎麦に対する思い入れが強いものばかり。以下がサイトから採集した本の内容。[要旨]
粋なそばも田舎そばも!!そばっ食いがするっと食べる、38篇。
[目次]主な書き手。
蕎麦(池波正太郎)
蕎麦に寄り添う(島田雅彦)
並木薮蕎麦―江戸前ソバ屋の原点(杉浦日向子)
浅草・並木の薮の鴨なんばん(山口瞳)
噺家と蕎麦(五代柳亭燕路)
あほのそばっ食いの最期(町田康)
蕎麦屋(吉行淳之介)
そば命(群ようこ)
いたちそば(東海林さだお)
蕎麦(松浦弥太郎)〔ほか〕執筆者一覧は以下。
島田雅彦、杉浦日向子、山口瞳、五代・柳亭燕路、町田康、吉行淳之介、群ようこ、東海林さだお、松浦弥太郎、川上未映子、入江相政、福原義春、タモリ、神吉拓郎、獅子文六、小池昌代、中島らも、尾辻克彦、川上弘美、丸木俊、田中小実昌、荷宮和子、吉村昭、山下洋輔、平松洋子、川本三郎、村松友視(「視」の漢字が変換できませんでした)、立松和平、渡辺喜恵子、黒柳徹子、佐多稲子、色川武大、太田愛人、みなみらんぼう、大河内昭爾、立原正秋、壇一雄
立ち読みということもあり、ざっと目を通しただけだけど、グルメの立原正秋が入っているのには驚かなかった。この文章は初めてのものだったのだけど。彼らしい「美学」に貫かれた「蕎麦論」になっていた。そういや、立原正秋と向田邦子のエッセイは、アメリカにいた頃、図書館から借り出して貪り読んだ。立原は文章の達人で、食にもとびきり煩いことがよく分かった。当時、フィラデルフィアには大した日本料理を出すレストランはなく、帰国しない限り立原のエッセイに載っていた食事にはありつけなかった。とくに蕎麦については絶望的だった。寿司などはそこそこの店はあったんですけどね。
池波正太郎は蕎麦好きで通っていたこともあり、巻頭にくるのは当然。「昼間から呑もうとすれば、蕎麦屋くらいしか開いていない」と言ったのは彼だった。2年前に彼の通ったところを行脚しようと思いつき、何日も東京に滞在して所縁の土地を回った。その折に、当然のことながら彼の行きつけの食べ物屋にも足を運んだ。とはいっても、どうしても和食系になる。それもやっぱり蕎麦。薮系の何軒かを回ってみたけど、あまり感激がなかった。塩尻で食べた蕎麦には負けているような気がした。グルメではない私の評ですので、信用はできなんですけどね。
杉浦日向子さんのエッセイが秀逸だった。もう亡くなられているんですよね。合掌。彼女は蕎麦にひっかけて浅草というトポスのもつ重層的な魅力について語っている。この地ほど「贅沢な」場所はないのだという。一見薄っぺらくみえる現在の浅草。実は過去をそのまま包括している数少ない場の一つ。豊かな過去を包括しているという意味で、かぎりなく豊潤でオモシロイ場所だのこと。頻繁に浅草に宿泊しているのに、そこまでも洞察力がなかったことを恥じた。次回はもっと時間をとって、浅草を集中的に逍遥したい。そして、もちろん江戸前蕎麦を味わいたい。