yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

オペラ<メリー・ウィドウ>@メトロポリタン歌劇場 (MET ライブビューイング) 2015年1月17日収録分

提供先である松竹のサイトからの情報は以下。

指揮:アンドリュー・デイヴィス 演出:スーザン・ストローマン
出演:ルネ・フレミング(ハンナ)、ネイサン・ガン(ダニロ)、ケリー・オハラ(ヴァランシエンヌ)、アレック・シュレイダー(カミーユ)、トーマス・アレン(ツェータ男爵)
言語:英語

解説
パリを舞台に、リッチな未亡人に国の命運を賭けた紳士たちが繰り広げる恋の騒動!〈ヴィリアの歌〉〈メリー・ウィドウ・ワルツ〉などの名旋律に彩られたロマンティック・コメディが、METの舞台を華やかに飾る。METの名花R・フレミングと、ブロードウェイのスターK・オハラの華麗なる共演は必見!舞踏会やキャバレーの場面に花を添える数々のダンスも人気の名作を、トニー賞に輝く女流演出家S・ストローマンがどう料理するかも楽しみだ。
20世紀初めのパリ。東欧の小国ポンテヴェドロの外交官ツェータ男爵は、亡夫から莫大な財産を受け継いだハンナが他国の男性と再婚すると国が破産しかねないと、書記官の伯爵ダニロにハンナに求婚するよう命じる。実はダニロはかつてハンナと恋仲で、身分違いゆえに結ばれなかったのだ。だが意地っ張りのダニロは頼みを断る。一方ハンナは、ツェータ男爵の妻ヴァランシエンヌの浮気をかばってダニロの誤解を招く。すれ違う恋のゆくえはいかに?

公式サイトから、舞台写真をいくつか。

主演のフレミングとガン。

パリのマキシムを再現したという場。そこでのフレンチカンカン。


今までになかった新演出。それもブローウェイのダンサー、歌手をオペラに組み込むという、ある意味とてつもなく掟破りの挑戦だった。最初のシーンで登場したダンサーたちはてっきり所属バレエ団の人だと思っていたら、とんでもない、ブロードウェイの人たちだったんですよね。この演出を手がけたスーザン・ストローマンはブロードウェイの監督で、今回METでの演出は初めてとのこと。ここにもMETらしい、というかアメリカらしい「挑戦する歌手を尊ぶ」という方針が窺える。

MET ライブビューイング」のブログ(日本版)に以下の解説があって、これも参考になった。

作品は、第1幕と第2幕ではルネ・フレミングとネイサン・ガンの優雅な歌声やワルツ、民族舞踊などが堪能できる。また、ストローマンと長年仕事をしてきたブロードウェイ出身のウィリアム・アイヴィー・ロングの妖艶な衣装も華を添える。何といってもストローマンが本領を発揮するのは、第2幕から第3幕への転換だ。「通常は休憩が入るのだけど、私はくっつけてカンカンダンサーが踊りながらキャバレー・マキシムに観客を誘うようにしたの」。ストローマン自らが選んだ生え抜きのダンサーたちが繰り広げるフレンチカンカンは、舞台に大輪のバラが次々と花開いていくような豪華絢爛さ。彼女の持ち味であるエレガントでセクシーな踊りが満載で「さすが!」の一言である。

さらに、今回METデビューを果たした、ヴァランシエンヌを演じるブロードウェイのトップ女優、ケリー・オハラにも注目だ。「彼女は大学でオペラを専攻していたから、METデビューは自然なこと。怖がらず、自由に演じ、オペラ界へのチャンスをつかみなさいと助言したのよ」。フレミングにも引けを取らない絹のような柔らかな美声と堂々とした演技が光っていた。

「ライブビューイング」の売り物の一つが幕間インタビュー。そこで歌手達をより身近に感じさせる工夫がある。『タンホイザー』の「ライブビューイング」の折にも感心したのが、インタビュワーが主役の歌手たちにする質問。その歌手の本質を引き出すというか、隠れたバックボーンのようなものを明らかにするというか、そういう役割を果たしている。切り口が鋭い。覗き見趣味的なものがなく、聴き手のべたべたした思い入れも捨象されていて、そういう意味ではほんわかしたムードを第一に醸し出そうとする日本的インタビューとは違っている。ちょっとキツイかなナンて感じもするほど。質問に答える歌手のサマにけっこう彼らの素がみえて、面白いと同時にちょっと気の毒になることも。

インタビュワーが誰だったのか(この人もMETの歌手に違いない)知りたいと思い、英語サイトで検索をかけたら、いくつかの評が出てきた。一つは、Telegraph紙のRupert Christiansenさんの公演評。そこそこの評価ではあるものの、莫大な費用を注ぎ込んだ割には感動がないという評。それはMETのオペラ全体にいえることかもしれない。なにか薄味になってしまうというか、軽くなってしまうというか。そうしないとアメリカの観客受けしないということがある。難しいところだろう。それがとくに際立っていたのが第二幕のパリの「マキシム」でのフレンチカンカンかもしれない。当時の歓楽の贅を、粋をつくしたマキシム。ブロードウェイ化すると、どうしてもその淫靡さが減じてしまう。やたらと明るくなってしまう。ロンドンの劇場で演じると、明るい作品でもどこかにこの淫靡を纏ってしまうのとは対照的。土地の精のようなものがあるのかもしれない。オペレッタが「軽い」といっても、アメリカ的軽さとは違うんだろう。

そのブロードウェイスターのケリー・オハラがMETデビューを果たした一方、主演のルネ・フレミングは今年ブロードウェイデビューをする予定と、この記事で知った。

アメリカでのこの公演評をもうひとつ、ニューヨーク・タイムズから

レハールのこのオペレッタ。もっとも世界で人気のあるオペレッタである。もともとグランドオペラの歌手のために書かれたものではないとのこと。だから往年のグランドオペラのプリマ、ルネ・フレミングの転向(?)もすんなりとはまっている。また演出のブロードウェイの申し子のようなストローマンもブリロードウェイでの最近作の受けがもう一つで、このMETデビューが転機になるかもしれないとのこと。というわけで、この公演は転機を迎えた歌手と演出家の出逢いという面もあったのかもしれない。

この記事、最後がストローマンのことばで締めくくられている。以下。

Downtown,” by the way, is how Ms. Stroman refers to the Broadway theater district, as opposed to the Met, which is “up here” in her personal lexicon. The two will come about as close as they ever have on Dec. 31. Hit it.

そうなんだと納得。 “up”と”down”っていうの、よく分かります。彼女の感慨も分かるような気がします。

もう一つこの公演評で興味深かったし同感だったものが「Observer」誌のもの。かなり辛口だけど、最後部の男爵のお付きの道化(狂言廻し)役のニエガス役カーソン・エルロッドについての箇所が興味深かった。

In a show this disastrous, it’s difficult to pinpoint the absolute nadir, but I would nominate the interpretation of the comic embassy secretary Njegus as so stereotypical a flaming queen as to make Will and Grace appear a model of enlightened gender study. The comic actor Carson Elrod did about as much as could be done with this cringe-worthy material, but everyone else involved, from Ms. Stroman to general manager Peter Gelb, should be mortified to be presenting homophobic minstrelsy on the stage of the Met.

たしかにこのキャラはやりがいがあるだろうし、それをこの人は分かって演じているのが良かった。ジェンダー・スタディの材料にもなるというのは、同感。でもこのある種いかがわしいキャラを際立たせるというのはお上品なMETに対してはナイモノネダリかもしれない。