yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦選手のパフォーマンス、「スクリャービン、エチュード第12番 嬰ニ短調、悲愴」in『覚醒の時』(DVD)

2011年12月の第80回全日本フィギュアスケート選手権(@大阪門真スポーツセンター)での録画がこの「悲愴」。このとき、羽生結弦選手は17歳になったばかり。

10歳の頃からオリンピック、世界フィギュアでそれぞれ金メダル、グランプリを獲るまでの羽生結弦さんを追ったDVD、『覚醒の時』に入っていたSPのパフォーマンス。さえざえした蒼色の衣裳が「羽生結弦」というアーティストを最も良く表象している。結果は3位だったんですけどね。この後も彼がこの曲での演技をするときは同じ衣裳なので、「羽生結弦選手とベルサイユな日々」というブログから画像をお借りさせていただきます。ありがとうございます。

2011年を逆戻って2月、つまりこの選手権の10ヶ月前の「四大陸フィギュアスケート大会」ではSPで「ツィゴイネルワイゼン」(総合2位)で滑っている(これは以前にブログ記事にした)。このとき16歳。この衣裳は淡いピンクとローズ色のもので、初々しいまるで少女のような羽生結弦選手を、これ以上ないほどみごとに表象していた。彼の衣裳はどれもステキだけど、この二つはまるで衣裳の精が踊り手に憑衣したかのような、そんな一体感がある。これはジョニー・ウィアー氏のデザインとのこと。

ひるがえって「悲愴」の演技!この時、彼は17歳になったばかり。で、この完成度の高さ。私のような素人にはテクニック面がイマイチ明瞭ではないのだけど、芸術度が飛び抜けているのは一目瞭然。「ツィゴイネルワイゼン」でもそうなのだが、彼のその後の多彩な演技のほとんどがこの中に既に見当たる。ただ、得点をあげる/稼ぐという「目的」がコンペには付いて回るわけで、その点ではもっと考慮の余地があったのかもしれない。だからブライアン・オーサーコーチの指導が活きたのだろう。点を稼げる構成になることで、点数も飛躍的に伸びた。でも羽生結弦さんの豊かな表現力が生み出す演技は「ツィゴイネルワイゼン」にもこの「悲愴」にも、そのほとんどが確認できる。若干16歳ですよ、17歳ですよ。これは天性のものとしかいいようがない。

この後、「スターズ・オン・アイス ジャパンツアーSOI 」(2012年1月)でもこの曲で演技。youtube動画をリンクしておく。スピンがより多彩にそしてシャープになっている。荒川静香さんが「上体が起きているので、演技がよりきれいになった」とのコメント。プルシェンコから「僕がみる限り、彼がナンバーワンだ」という言葉を贈られたそう。

その次のものでyoutubeに載っているのが「Skate Canada 2013 Gala EX」のもの。これもyoutubeサイトをリンクしておく。羽生結弦さんは3位だった。

羽生結弦さんの芸術的センスとそれを具現化する表現力とが突出しているのは、他のスケーターと比べると一目瞭然。日本選手と比べると問題がありそうなので、ここではアメリカのフィギュアの大会での選手達と比べてみた。アメリカでフィギュアスケートが盛んなのかどうか、残念ながらアメリカにいたころは関心がなかったので、分からない。でも、イメージとしては、羽生結弦さんとはまったく正反対の滑りをするのではないかと推測した。何かと「合理的」なアメリカ人。彼らは純粋にスポーツ、競技としてスケーティングを捉えているだろうから。

「U.S. Figure Skating Championships 2015」(1月17日〜25日)というのがあるのを「たらさん」という方のブログで知った。参考にさせていただきました。ありがとうございます。このコンペ、NBCで放映されているようだった。でさっそくyoutubeで検索してみた。とりあえず、上位3人のSPを観てみた。

ジェイソン・ブラウン(Jason Brown)。イリノイ州出身の19歳。曲は「Juke」。ワイルドで、セクシー系。ノリは良い。でもどこか大雑把。スピードはあまりない。雰囲気はフレンドリーで、いかにもアメリカ人。優美さに欠ける。その点では2位のファリスの方がマシ。

ジョシュア・ファリス(Joshua Farris)。シアトル出身の20歳。あれっと思ったのは、SPの「ギブ・ミー・ラブ」の振付けをしたのが、あの「パリの散歩道」の振付師、ジェフリー・バトル氏だったこと。素朴で、土の匂いがするよう、西部の雰囲気がする。これで分かったのは、コレオグラファーの役割はあくまでも「振付け」に限定されるということ。だからあとは選手の解釈力でそれを演技にどう表現して行くかということが重要になる。振付けをより高度な高みへと持って行ける羽生結弦さんの解釈力、表現力が並外れて芸術的なことがよく分かる。

ピアノ演奏に例えると、コレオグラファーが付ける「振り」は楽譜のようなもので、演技者はそれを弾くピアニストというところだろうか。醸し出される音楽は、ピアニスト(演技者)の解釈力、表現力によっていく様にも変幻する。

アダム・リッポン(Adam Rippon)。曲は「リスト、ピアノコンチェルトNo. 1 E flat」。ジャンプは上手かった。筋肉質でいかにも運動選手という感じ。フィニッシュが羽生結弦さんの真似(?)のようなものだったけど、体つきが違うのであれほどの優美さはなし。それでも解説者は「Beautiful」を連発していた。全体的にアメリカのフィギュアスケーターはがっちり系で、運動選手体型。当然なんですけどね。だから目指しているのも、どちらかというと優美さというより、どれだけ加点をとれるかという、スポーツ競技の原点を極めるもの。あくまでもそこに固執しているのがよく分かった。演技としてではなく、スポーツ競技の一つとして捉えているんだろう。

そういえばABT(American Ballet Theater)のダンサーたちもヨーロッパ出身の人が多かった。バレエのようなヨーロッパが出自のものは、ヨーロッパのバックグラウンドをもつ踊り手の方が優れた踊り手になる可能性が大なのではないか。日本も独自の文化背景を持っているから、そこから優れてアーティスティックなスケーターが出てくるのは、ある意味当然なのかもしれない。

もう一つ、いかにも「アメリカ的」だと思ったのが、騒々しい解説。うんざりした。これはNBCの放映だったのだけど、同じ系列のCNBCの朝の経済番組(主として株を扱っている)を思いだしてしまった。この番組ではキャスターがのべつまくなしに喋るのに、彼らのことは、情報をアウトプットしてくれているということで、それほど煩く感じなかった。それはこちらの勝手な言い分?

あぁー、いかにもアメリカ。ときとしてこういう騒々しさが堪え難いこともあったなぁと、改めて感慨に耽った。カナダはかなり違った印象だったけど、実際はどうなんだろう。トロントは今でも英国の情緒が幾分かは残っていたように思うけど。