今朝久しぶりに「モーニング・サテライト」をみたら、ちょうどこのシーンが映っていた。東京大学大学院教授の伊藤隆敏氏が職を辞し、この1月からコロンビア大学でアジア経済や金融政策を教えておられるとの由。伊藤教授といえば、安倍晋三首相の重要な経済アドバイザーの1人である。テレビ東京の「解説」は以下。
米コロンビア大学教授に着任した伊藤隆敏氏の“白熱教室”に密着。 NYから中継で 伊藤教授が出演。アメリカの学生たちが日本経済をどう見ているのか探ります
池谷キャスターが驚いたのは、教授が26人の履修学生全員の名前を覚えるため、コンピュータに写し出される学生の顔写真と名前を一致させようとがんばる姿。これって、アメリカでは当然のこと。私の頃はネット送信ではなく(肖像権等の問題があるためだとおもう)、印刷物でもらった。カラー写真になっていて、授業開始までに顔を名前を一致させておかなくてはならず、けっこう大変だった。日本文化コースのTAのときは、ファミリーネームではなく、ファーストネームを、日本語クラスでは(日本の慣習に合わせて)ファミリーネームで学生をよばなくてはならない。日本に帰国してクラスを持ったとき、事務に顔写真をくれるように頼んだら、そんなものはないと言われた。個人情報にあたるらしい。というわけで、最初の二週間は学生の名前を度々しくじり、ブーイングを受けた。日本って、ホント合理的でないと思った。
伊藤隆敏教授は、修士課程でアジア経済や金融政策を教えている。サイトによると、「議論を活発にさせていく授業にする」とのこと。伊藤教授の授業風景も一部映っていた。26人の履修生のうち24人がアジア系学生。その中にいた日本人学生に池谷キャスターが履修理由を聞いていた。「将来金融関係に就職しなくても、つぶしがきくから」ということだった。
授業は典型的アメリカの大学のもの。学生と対話しながら、問題点を白板に教授自身が書き出してゆく。よほど大教室でないかぎり、パワーポイント等を使うことはなく、教師がこのように学生からのレスポンスを書き加えて行くのがアメリカ流。アナログなんですよね。書き出されたポイントの数々を、チャートをみるように学生がみて、さらに活発な議論へと発展させる。教師は行司、もっというならばソクラテスのいうところの「産婆」のような役割をする。
アメリカの大学で教育を受けたことのない教師は、このように授業を進めるのはほとんど不可能だろう。一方通行の授業しか経験がないから。アメリカのサンデル教授等の「白熱教室」の影響からか、最近いくつかの大学でこういうやり方をする教師もいると聞く。でも私としてはかなり懐疑的。
日本人教員には英語の問題もありますしね。アメリカの大学、大学院(それも博士課程修了まで)の教育を受けていないと、こういう授業を日本人がするのはかなり難しいだろう。英語の問題に加えて、方法論でも無理な気がする。アメリカの大学で教員になるにはまず、Ph.D.(博士号)が必須条件だけれど、博士課程の授業と併行して、TAをやらされ教師業の修行をさせらる。日本の大学では修士のみで教員になることが多い。博士号をとっても(小保方事件以来日本の大学の「博士号」は地に堕ちた感があるけど)、その過程でこういう修行は課せられない。発想が根本的にちがうんでしょうね。
伊藤教授がアメリカの大学でPh.D.を取り、その後アメリカの大学での教師経験があるのは一目瞭然だった。彼の経歴はテレビ東京の解説では以下。
伊藤教授自身も米国で教べんを執った経験がある。伊藤教授は1979年にハーバード大学で博士号を取得した。当時、後に米財務長官やハーバード大学学長を歴任するローレンス・サマーズ氏とはクラスメートだった。伊藤教授はその後、ミネソタ大学で8年間、学生の指導に当たった。
やっぱり!
このサイトではさらに彼がコロンビア大に移った理由にも言及していた。以下。
10月で64歳になる伊藤教授は「日本の国立大学では65歳で退職を強いられる」と指摘。学界にとどまることを希望する日本の学者は私立大学に移籍することも可能だが、私大では減給となり、教授活動と事務的責務が増える一方で研究活動の機会が減ることが多い。
伊藤教授は「もっと研究がしたい。私はまだ生産性のある仕事ができると感じている」としたうえで、「コロンビア大がこのことを評価してくれたことは嬉しい」と述べた。伊藤氏は「日本での教授職は横並びだ。米国では給与も教育への負荷も事務的な仕事も各教授の得手不得手に基づいて決まる」とし、日本の「平等主義システム、年功序列システムが成長力をある程度奪っている」と指摘する。
深く同感。1998年に彼はアメリカから日本に帰国し、一橋大の教員になったのだが、日本の研究環境の在り方に疑問をもち、再渡米を決心されたという。最近の日本の大学の雑用の多さは異常。研究をするなといわんばかり。もともと研究をしない人にとっては、時間を雑用で奪われるのはかまわないのかもしれない。残念ながら圧倒的多数がこの手の人種。でも真摯に研究に向き合う人にとっては、堪え難い環境である。とくに若手の研究者には。あるいは生産的な研究を続けて行きたいと思っている人には。優秀な若手(まかり間違っても小保方氏、あるいはその同類ではありません)は、アメリカに行って研究を続けるべきだと強く思う。
そして、伊藤教授。さすがです。東大を始めとするいわゆるトップ校の教師達も他山の石として、彼を見習ってほしい。アメリカの大学に入り直すっていうのは、いかがですか。