yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『石川五右衛門』たつみ演劇BOX@梅田呉服座2014年1月25日夜の部

めったにかけない狂言ということだった。舞台装置の点で普通の大衆演劇の小屋では難しいとのこと。もちろん私が観るのも初めて。歌舞伎のフルバージョンは『楼門五三桐』だが、大抵は「南禅寺山門の場」のみの上演。私もこれしか観たことがない。最近では昨年1月、京都南座で中車が五右衛門、猿翁が真柴久吉演ったのを観たきりである。昨年2月に松竹座で「GOEMON」を観たが、あれは歌舞伎オリジナルとは似て非なるもの。だから比較対象にはならない。

Wikiでその来歴を調べたら、「安永7年に『金門五山桐』が大坂で初演されたときに五右衛門をつとめたのは初代嵐雛助である。初代は所作に優れた上方歌舞伎の名役者で、肥満体でみせる上品な芸は公家悪や天下をねらう謀反人をやらせたら右に出る者はいないと言われた」という解説があった。そういえばたつみさんのお祖父さまは嵐劇団を名乗っていたはず。なんらかの関係がこの初代嵐雛助とあったのかもしれない。以下同じくWikiからの解説。

南禅寺の山門の屋上、天下をねらう大盗賊・石川五右衛門は、煙管を吹かして、「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両……」という名台詞を廻し、夕暮れ時の満開の桜を悠然と眺めている。

この「絶景かな、絶景かな」は、五右衛門ときけばかならず思い浮かぶ名台詞。中車さんもこれをうまくいえず苦労してるさまがドキュメンタリーになっていたっけ。たつみさんはこれを南禅寺山門上ではなく、小高くなった崖のようなところで発していた。山門でないのに正直、少しがっかりした。もちろん山門をしつらえるのはよほど劇場の設備が揃ったところでないと不可能だろうから仕方ない。新開地か朝日しか無理だろう。ただ台詞廻しはさすがだった。

たつみ版五右衛門のフルバージョンの試みにはエールを送りたい。スーパー兄弟の朝日劇場での「夏祭浪花鑑」の斬新な試みもすばらしかったけど、制約がいっぱいある中でなおかつこういう試みをあえてするところに、たつみさんの気概を感じる。また、随所に歌舞伎調の台詞、見得切りがあり、これもその辺りの歌舞伎役者よりはるかに切れが良くて、感心した。少ない稽古時間を目一杯に使っての上演だったに違いない。それでも「良い舞台を!」という気持ちが完成度の高さになっているのだ。それがビンビン伝わってきて、胸が熱くなった。

5歳くらいの子役ちゃん(たつみさんのお嬢さん?)も高所を怖がらずに、ちゃんと演技をしていたのにも感心した。

この日、アメリカ人の同僚とサンフランシスコから来た彼の友人、それに彼のアシスタントの若い男性三人を連れて行ったのだが、同僚が「イェイー」と大声で叫ぶので、困った。この方神戸で劇団を主催しているのだけど、日本の古典劇はみていない。私の経験ではブロードウェイでもオフ、オフオフでも叫ぶのはなかった。もちろんロンドンでは一切なかった。アメリカ人は確かに映画をみるときはかなり「うるさい」。でも芝居と映画とは違うのだから、その辺りは分かってもらわなくてはならない。次回、一緒する際には、「座長」とか役者名を叫ぶように云うつもり。たつみさんに申し訳ないことをしたとかなり後悔。