yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「岐路の文楽振興手探り」日経新聞3月9日記事

今羽田で帰阪のフライトを待っているところである。ラウンジにおいてある日経新聞を手にとったところ、文化欄にこの記事があった。

橋本市長による文化施策の見直しで、2013年度から補助金交付の方法が変わる。この一年の文楽サイドの危機感は強く、観劇するたびにそれをひしひしと感じた。地元の人たちも何とか協力しようと、今までにない観客数だった。橋本案では今までのような一括した運営費の交付をやめて、入場者数で判断して支給額が増減されるという。「それはあんまりご無体な!」と思ったのだが、決まったようで暗い気持ちになった。

文楽協会が特に問題視するのは入場者数で補助額が決まる点である。過去10年間で満額支給の10万人を超えたのは2004年度のみだという。実感として、私の印象もそうである。年々観劇客が減っていたのは確実だった。でも東京公演の国立劇場小劇場では結構人が入っていて、大阪と東京の差を感じざるを得なかった。景気が動員数の大きなファクターになっているのは否めないだろう。東京に来るたびに思い知らされるのは、大阪の、関西圏経済の地盤沈下だから。

大阪市が多大な負債にあえいでいるのも事実ではある。何とかしなくてはならないという、市長の気持ちもわからなくはない。非効率的な運営という部分もあっただろう。でも、芸術活動はそういうものなのだ。だからヨーロッパの決して裕福ではない国でも芸術には特別枠を適用、補助金を潤沢に出しているのだ。そのあたりを理解したうえで、再度調整してほしいと切に願う。大夫さん、三味線弾きさんはいわゆるビジネスマンではない。こういう話し合いに出ても、その思いのたけの何分の一程度しか吐露できないだろう。だから「打ち負かし、ねじ伏せる」というやり方はフェアとはいえない。

彼ら芸術家の心意気は「芸を磨くに尽きる」という表現に現れている。より一層、芸に磨きをかけてほしい。でもそれでも行き詰まるだろう。そのときは若手をどんどん舞台に起用、彼らの意見にも真摯に耳を傾け、それを取り入れてもらいたい。杉本文楽が成功したのは、そういう斬新な視点で文楽の可能性を示したからだと思う。