yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

11月文楽公演『双蝶々曲輪日記』@国立文楽劇場11月5日 第1部

友人が大阪府の半額チケットを予約しておいてくれた。下手の前から2列目の席だったので、二人で「字幕を見ると首が痛くなるよね」と言い合っての観劇。

ほぼ4時間の通し狂言。首を上に向けたままでの観劇は少々きつかったけど、十分にその値打ちがあるものだった。この公演には仰々しいタイトルが付いていた。曰く、「平成26年度文化庁芸術祭主催国立文楽劇場開場30周年記念」。

以下がその段。

堀江相撲場の段/大宝寺町米屋の段/難波裏喧嘩の段/
橋本の段/八幡里引窓の段

文楽でこれを観るのは初めて。歌舞伎だと何回かある。ただ通しではなく、「角力場」と「引窓」。記憶にしっかりと残っているのは、1994年9月の歌舞伎座でのものと2003年1月、国立劇場でのもの。いずれも「引窓」。1994年のものは濡髪が富十郎、与兵衛が吉右衛門で、2003年のものは役が入れ替わり、与兵衛が富十郎、濡髪を吉右衛門だった。いずれの公演も富十郎、吉右衛門はいうに及ばず、ワキが良かった。1994年版では女房お早の中村松江、それになんといっても母お幸役の中村吉之丞が秀逸だった。2003年度版では女房お早が時蔵、母お幸は以前と同じく中村吉之丞だった。吉之丞は、はまり役というよりどこか「男」が残ったサマが良かった。長身を曲げての吉之丞の「老母」ぶり、今でも鮮明に思い浮かぶ。

この芝居についてWikiに当たると、以下のような解説があった。

1749年(寛延2年)7月に大坂竹本座で初演され、翌8月に京都嵐三右衛門座で歌舞伎として初演された。作者は二代目竹田出雲、三好松洛、初代並木千柳。全九段。

昔の人がいかに我慢強いかがよく分かった。4時間でも最後は「まだあるの?」なんて、不埒なことを思っていたから。今日観てきた通しも全体の半分だったことが判明。

歌舞伎では主として「引窓」が演じられるのだが、この段だけ観てもなにか腑に落ちなさが残っていた。今日、5段分をみることができて、ようやく納得できるところが多々あった。それにこうやっていくつかの段をまとめて観てみると、この『双蝶々曲輪日記』が劇的な起伏に富む、とてもドラマティックな芝居だということが判った。さすが竹田出雲なんですよね。「引窓」の段のみを観てこの芝居の全貌を語ることはできないだろう。

「橋本の段」を語った嶋大夫、嫋々とした美声はそのままだった。衰えがなかった。世話物を語らせたら、彼の右に出るものはないだろう。この段が最も長かったのに、彼の声には疲れがみえなかった。アッパレ!

そして最後の段、「八幡里引窓の段」の中語りの文字久大夫、おみごとだった。師匠の住大夫も安堵されたのでは。

また切語りの咲大夫もすばらしかった。以前はちょっとひ弱さを帯びていたことがあったけど、そういう弱さはまったくなかった。しかも三味線伴奏は燕三だったんですよ!ご病気だったのに復活されて戻られ、どれだけうれしかったことか!

客席、ウィークデ―にもかかわらずほぼ満席。今までにみたことのない光景。文楽を楽しむ人の層が厚くなって来ているのが実感として伝わってきた。