yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

歌舞伎俳優、尾上菊之助さん結婚へ

以下産経新聞のニュース。

人気若手歌舞伎俳優、尾上菊之助さん(35)が、中村吉右衛門さんの四女、波野瓔子(ようこ)さん(30)と結婚することが13日、分かった。26日に神田明神(東京都千代田区)で挙式し、秋頃に披露宴を行う予定。

訃報続きの歌舞伎界で久々の明るい話題である。先月、国立劇場における『夢市男達競』での演技をみて、これからの歌舞伎界を担う役者だと確信したので、とてもうれしい。しかもお相手が「鬼平の」(?!)吉右衛門さんのお嬢さんだということで、嬉しさ倍増である。まぁ、私には何の関係もないことではあるのだけれど、勝手に喜んでいる。ご本人の両親を上回る縁組みで、さぞ「演技派」のお子さんを授かるだろうと、今から楽しみである。

来月、新橋演舞場での「花形歌舞伎」では菊之助、染五郎、松緑がそろい踏み。以下、チラシを引用させていただく。

昼が『妹背山婦女庭訓』の「御殿」で、菊之助はお三輪を演る。もう一つの演目はナント!長谷川伸の『暗闇の丑松』。こちらは松緑が主演で、菊之助、染五郎の出番はない。夜公演の方は、『一條大蔵譚』と『二人椀久』で、昼に出番のなかった染五郎が出ずっぱりになっている。とくに『二人椀久』は、染五郎と菊之助二人のみで演じきる。全演目で脇を固める中堅の役者さんたちがすごい。演技派ばかりを揃えているので、これも楽しみである。

「御殿」のお三輪は芝翫とその子息の福助でみたことがあるが、さほど印象に残っていない。なぜなのかを考えてみた。「大団円」がもう一つピンとこなかったせいかもしれない。通しで観れば話がちがったのではないだろうか。『妹背山婦女庭訓』は残念ながら通しでは観たことがない。「山の段」か「御殿」単独で舞台に乗ることが多いのだけれど、それだと「山の段」はさておき、「御殿」でのお三輪へのイジメとその後の自己犠牲とのつながりがはっきりしないまま大団円を迎えることになる。観客は消化不良感を免れ得ないだろう。それはお三輪、鱶七役者の演技力に頼るだけでは、とうてい解消しないものに違いない。いたぶられるお三輪がいかにサディズム・マゾヒズムの極北の名演技を魅せても、それがその後の自己犠牲への橋渡しで観客のカタルシスを導きだすというようにはならないのではないか。この点、『合邦』の玉手御前の「もどり」の方が「庵室」のみが単独で上演されても説得力があるのとは違っている。そういや、菊之助、玉手を演じているんですよね。お祖父さんの梅幸の玉手はなかなかのものだったけれど、若い玉手(二十歳前後)を演じるには菊之助に分があるだろう。見逃して残念。

で、お三輪にもどり、菊之助がどう演じるか、興味はつきない。そういえば彼の女形を最後にみたのがずいぶん前になる。従来のお三輪に新しい解釈を加えているのだろうか。激しい情念を秘めた女役は、一見おとなしそうでいてなかなかの気構えをもっているのがほの見える彼のニンにはぴったりかもしれない。父の菊五郎が女形をやるとどこか「男っぽさ」が全面に出てしまうきらいがあるけど、菊之助はそのあたりきっと緻密に繊細に計算した演技になるような気がする。楽しみ。

そして、『暗闇の丑松』。大衆演劇をここ三年あれほどみてきたのに、一度も出くわしたことがない。『一本刀土俵入』や『刺青奇偶』はいくつかの劇団で観もしたし、すばらしい舞台に出会いもした。これらは長谷川伸が六代目菊五郎のために書き下ろした作品だというのを、吉之助さんという方のブログで知った。平成18年に幸四郎の丑松、福助のお米で歌舞伎座に乗ったという。長谷川伸は(役者の力量が多少足りなくても)、脚本そのものの魅力でみせてしまう。松緑がそのあたり、どう正面から取っ組みをするのか、それも楽しみである。

去年12月の国立劇場での『鬼一法眼三略巻』中の「檜垣・奥殿」の場では吉右衛門が呆け公家、一條大蔵卿を演じた。鬼一役よりぴったり。みごとな呆けぶりだった。叔父さんから伝授されたこの役、染五郎なら思いきり羽目を外して演じてくれるのではと、これも楽しみ。