yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

菊之助の玉手が魅せた『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』團菊祭五月大歌舞伎@歌舞伎座5月19日昼の部

もちろん、「合邦庵室の場」。「歌舞伎美人」からお借りした「配役」、「みどころ」は以下。

<配役>
玉手御前  菊之助
俊徳丸  梅枝
浅香姫  尾上右近
奴入平  巳之助
合邦道心  歌六
母おとく  東蔵


<みどころ>
◆美しい後妻が抱いた邪恋の真実
 継子の俊徳丸に恋をした玉手御前は、家を出た俊徳丸の後を追いかけて、父合邦の庵室にたどりつきます。俊徳丸は玉手の計略で毒酒を飲まされ、醜い顔となり、許嫁の浅香姫と共に合邦のもとに身を寄せていたのです。執拗に恋をしかける娘の姿を見かねた合邦は、刃で娘を刺しますが、苦しい息のもとで玉手はこの恋の意外な真実を語り始め…。
 若い後妻が継子に恋をする異色の名作として知られています。玉手が抱いた恋の真相を丹念に描いた舞台にご期待ください。

これはもとは摂津地方に伝わる「伝承」だったらしい。説教節、「しんとく丸」になっている。能の『弱法師』もこれを素にした作品。それが人形浄瑠璃、歌舞伎になった。だから舞台上手に床がしつらえられ、太夫と三味線が語る丸本歌舞伎の形式を採る。でもね、こういう継母と義理の息子との「恋愛」は、西洋にも古くからあるんですよね。ギリシア悲劇の『ヒッポリュトス』、『パエドラ』がそう。それはラシーヌの悲劇『フェードラ』になる。また、ブリトンに伝わる「アーサー王伝説」や「アーサー王物語」に描かれている円卓の騎士、ランスロットとアーサー王の王妃グィネヴィアとの不義の恋もその例の一つだろう。

歌舞伎の『摂州合邦辻』、精神分析学的にみると、実におもしろい作品。フロイト、ラカンがそのまま適用できる。その点ではすっきりするんだけど、逆にストーリーとしてみると、かなり無理があるような。「お家騒動を解決するために、うら若い後妻が義理の息子に不義の恋愛をしかける」なんての、設定自体にかなり無理がある。歌舞伎常套の「実は」の世界なんだろうけど。そうではなく、むしろ「実は」ではないその背後にあるものの方がはるかに面白い。やっぱり玉手は本気だったんですよ。そう読んだ方が理に適っていません?

私は「合邦庵室の場」を1994年10月に国立劇場で観ている。その折の配役は以下だった。歌舞伎データベースから。

玉手御前 = 尾上梅幸(7代目)
合邦道心 = 市村羽左衛門(17代目)
俊徳丸 = 澤村田之助(6代目)
浅香姫 = 中村芝雀(7代目)
奴入平 = 坂東三津五郎(9代目)
合邦女房おとく = 市村鶴蔵(初代)

これも20年前だったんだと、あらためて月日の経つのの速さを思う。アメリカの大学院での博士論文のテーマに歌舞伎を選ぼうと考えていたので、遮二無二歌舞伎を観た。毎月東京遠征をかけていたっけ。

この日、隣席に座られた方が「やっぱり玉手は若い役者がいいですね」と話しかけて来られた。そう、玉手は二十歳そこそこで、俊徳と歳はそう変らない。若い美貌の義母。この方も私と同じく20年前に菊之助の祖父、梅幸の玉手をご覧になったという。菊之助の玉手にいたく感心されていた。私もまったく同感。素晴らしい玉手だった!短い幕間で少しお話した。私の勘が当たっていた。その雰囲気から西欧生活が長い方だろうと推測していた。案の定カナダに住んでおられるようで、今は日本に帰国中?このあとの演目、『天一坊大岡政談』の海老蔵にも感心されていた。かなりの通。私より年配なので、歌舞伎歴もずっと長そうで、お話をもっとお聞きしたかったのだけど、明治座での4時始まりの芝居に間に合うよう中座された。

菊之助の玉手、恐らく彼の代表作になるだろう。唸りっぱなしだった。梅幸と違うのが、登場した時の被り物。梅幸はたしか紫の布をお高祖頭巾のように被っていたけど、菊之助は紫色の着物の右袖をはぎ、それを頭巾にしていた。これ、ぞっとするほどの色気を感じさせた。着物の赤地が見え隠れするところが特に。そしてその表情。終始、無表情。この無表情がもうれつな色気。どんなに親に責め立てられても、微塵も表情を変えない。目も据わったまま。ときたま視線が動くときはぞっとするほどの冷たさで相手を見る。

それが俊徳が相手となると、顔の表情は「氷」のままで、行動のみ激しい。それを浄瑠璃語りが綿々と説いて行く。役者のまるで人形のような無表情と、語りのパッショネイトさの掛け合いがみごとだった。菊之助という人の深さを見てしまった気がした。ここまでの演技ができるんですから、やっぱりあのお姉さんの弟ですよ。すごい!すごい!を連発しながら、見惚れていた。聞き惚れていた。

実際は方便としての「恋」だったという結論が示される訳だが、それでもこの玉手の激烈な恋情の迸りをみてしまうと、そういうオチの付け方になにか納得できないものが残る。その余韻があるから、そういう喉にささった棘のようなものがあるから、逆にこの芝居の底知れなさが立ち上がって来る。「芝居を観た」という気にさせられる。