yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『弱法師』in 平成二十九年第二回林定期能@京都観世会館3月25日

『弱法師』はなんとしても見たかった演目。実は能を最初に見たのが『弱法師』だったから。ただ、それも記憶の彼方。何年前になるのだろう。私が母校の大学で非常勤講師を始めた頃、どういうきっかけだったのか、どこでだったのか、誰が演者だったのかも、覚えていないのだけど、これを見てちょっとした衝撃を受けた。これが歌舞伎の『合邦』の素になった作品だと知ったからだと思う。実際には、説教節の「俊徳丸」がそのソースらしいのですけどね。

情けないことにタイトルを「正しく」読めていなくて(たしか「よろぼうし」と読んでいた)、能の通だった方に「あぁ、『よろぼし』ね」と、「訂正」されたのが、昨日のことのようにまざまざと浮かび上がる。この方、京都のさる大学の教授夫人。京都生まれの京都育ちという生粋の京都っ子。「能のお稽古を何十年もやってます」っていう方。歌舞伎にも精通されていたっけ。先日八坂神社に近いご自宅を訪ねて行ったら、もうそのお宅はなかった。ショックだった。

前置きが長くなったけど、ここまで思い入れがあった作品。やっと巡り会えた!以下、「能.com」のこの作品概説。

河内国高安(現在の大阪府八尾市付近)に住む高安通俊(たかやすみちとし)は、他人の讒言を信じて、実子の俊徳丸(しゅんとくまる)を家から追い出しました。後悔した通俊は、俊徳丸の現世と来世の安楽を願い、春の天王寺(大阪・四天王寺)で七日間の施行(施しにより善根を積む行)を営みます。その最終日、弱法師(よろぼし/よろぼうし)と呼ばれる盲目の若い乞食が、施行の場に現れました。実はこの弱法師は俊徳丸その人でした。

弱法師が施行の列に加わると、梅の花びらが袖に散りかかります。花の香を愛でる弱法師を見て、通俊は花も施行の一つだと言いました。弱法師も同意し、仏法を称賛し天王寺の由来を語りました。通俊は、弱法師が我が子、俊徳丸であると気づきますが、人目をはばかり、夜に打ち明けようと考えます。通俊は弱法師に日想観(じっそうかん/じっそうがん:沈む夕日を心に留め、極楽浄土を想う瞑想法)を勧め、弱法師は、難波の絶景を思い浮かべますが、やがて狂乱し、あちこちにつまずき転び、盲目の悲しさに打ちのめされます。

夜更けに通俊は、弱法師すなわち俊徳丸に父であると明かします。俊徳丸は恥ずかしさのあまり逃げますが、通俊は追いついて手を取り、高安の里に連れ帰りました。

歌舞伎の『合邦』では、この話に玉手御前という魅力的な女性が絡み、ラシーヌの『フェードラ』もどきのドラマチックな展開になるのだけど、能の場合はもっとシンプルで、親子の情愛と俊徳の純粋な心根と徳とをテーマにしている。ハッピーエンドの最後というのも、受け入れやすい。

シテの松野浩行さん、この幼さのまだ残るピュアな俊徳丸を受肉化していた。橋掛りの出端で、かなり長く佇んでいるサマがどこか儚げ。いかにも」うら若い青年という感じが出せていた。声も幾分高めで、美しい。あまりにも「ハマって」いるので、休憩時にネット検索をかけたほど。

この「儚げ」な俊徳丸と好対照を成すのが実の父の高安通俊。演者の江崎欽次朗氏はこの対比をうまく出せていた。聖なるものと世俗のせめぎ合い。その世俗の代表格がこの男なんだろうけど、その俗っぽさをきちんと描出していた。

地謡も若手が多くて迫力があった。まだ十代だった初々しい俊徳丸にふさわしい謡だった。