純弥さんは抜けられましたが、恋川さんは今まで以上にすばらしい劇団になっていました!観ていなかった人は今すぐ新開地にGO!です。
23日、24日のお芝居と舞踊ショー、とにかくすごかった!純君をはじめ劇団員が一丸となってがんばっておられました。3月に池田呉服座でも観ましたが、そのときより以上に純君、心哉さん、風馬さんの実力が、そして意気込みが遺憾なく発揮された舞台になっています。感激!純弥さんが抜けられたのは、結果的には正解だったように思います。純弥さんがいる頃は(責任感の強い)彼が頻繁に出られたため真弥さん、風馬さんの出番が少なかったのですが、今は否応なく出なくてはなりません。
もともと心哉さんはお上手でしたが、なにかふっきれたというか、突き抜けたというか、自信に満ちて遠慮なく前へ出られるようになりました。それで今まで以上にパワ—全開の舞台になっています。「さえざえ」としたよりシャープなそれでいてほんわかとした温かみもある(おそらく真弥さんのお人柄そのものでしょう)感じの演技と舞踊を魅せてくれます。ステキです。
風馬さんも自信をもって前へ前へと出られるようになったのは真弥さんと同じです。吹っ切れた感じがするのも真弥さんと同じです。彼の場合はそれまであまり感じられなかった「色気」が前面にでるようになっています。「これでどうだ!」といわんばかりに観客に挑んできます。
純君は最愛のそして頼りにしていたお兄ちゃんに去られて、本当に大変だったと思います。今でもそうでしょう。でも彼本来の実力がより自由に出せるようになったのではないでしょうか。溌剌とした舞台は以前のままですが、そこに深みが、そして情のようなものが感じられるようになりました。池田呉服座で観劇した折にもそう思いましたが、今回はそれが確信に変りました。その一番の証左が観客数に表れています。今月初めに来たときはそれほど多くはなかった動員数、昨日も今日も大入りでした。きっと毎日着実に増えて行っているのだと思います。よかった!25、26日は純弥さんが客演にこられますが、応援がなくとも他劇団を凌ぐ動員数になってきています。これはすごい。純君の一番の優れた素質は素直なところ、謙虚なところ、そしてその人柄の良さです。「舞台という怪物の前で謙虚でいる」ということが、舞台人にとっては最も大事なことだと思います。でもそれができる人が少ない。口でなんと言おうと傲慢な役者はそれが舞台に出てしまいます。そうなると進歩はありません。稽古をさぼるとそれは即舞台に反映します。最近つくづく感じるのは役者の人格が舞台の優劣を決定する大きな要素だということです。劇団の座長の品性、人柄はそのまま座員のそれになりますし、また舞台にそのまま直に出てしまいます。今までの人気に頼り、稽古を怠り、マンネリの舞台にあぐらをかいていると、いずれ観客に見放されるでしょう。
恋川劇団は純弥さんというまれにみる人格の、しかも品性の優れた座長さんが、仕切って来てこられたので、劇団のカラーはすでに出来上がっていました。純弥さんは「稽古が命」の精進を怠らない生真面目な座長さんでした。だから純弥さんをトップに擁した劇団があれほどの人気を誇ったのは不思議でも何でもありません。そしてそれを継いだ純君、彼もまれにみる品性のよい、人柄のよい、そして生真面目な座長さんです。その上座員さん全員が同じ素質、方向性を持っていますから、これからの恋川劇団がうなぎ上りにより大きな人気を獲得するのは間違いないでしょう。純君独自の路線、純君カラーも出来上がりつつあります。まだ二十一歳。役者としては未完のはずですが、それでもすでにどこか大物の風情を感じさせる役者さんです。それでいてまだまだ伸びしろのある役者さんです。心哉さん、風馬さんがそれをしっかりと支え、応援しています。もちろん女性陣もそれをバックアップしています。
最近とみに大衆演劇の旧態依然としたお芝居、とくに九州系のやくざものには生理的嫌悪を覚えます。このご時勢に斬った張ったの、義理・人情だのはあまりにも時代錯誤的です。感性的にどうも受け入れられません。もちろん大衆演劇というか旅芝居独自の文化を認め評価するのにやぶさかではありませんが(面白い、優れたお芝居もありました)、やたらと山をあげる泥臭い芝居を、忠治だの次郎長だの黒駒の勝蔵だのという渡世人の間の(あまりにも狭い)「けんか」を題材にした芝居を、果たして誰が喜ぶのかと疑問を感じざるようになったのも事実です。役者、それも若い世代が代々続いて来た(であろう)そういう芝居に何の疑問ももたず、(楽だから)やりつづけるというのでは、大衆演劇に未来はないでしょう。稽古をしっかりとせず、座員のレベルの低さを放置している劇団があまりにも多い。
ここしばらく歌舞伎観劇を復活して、歌舞伎の新しい胎動を感じています。歌舞伎の出自からして当然の「傾く」精神を歌舞伎は取り戻しつつあります。これは嬉しい驚きでした。翻って旅芝居では相変わらず何十年も前から同じ芝居、演り方に固執した劇団が多すぎます。歌舞伎の最近の凄まじい人気は、観客がそういう新しいトレンドを歓迎している証左でしょう。旅芝居、大衆演劇にも同じような動きが出てくることを期待するのは無理でしょうか。真剣に若い観客層を取り込みたいのであれば、自分たちのやっていることを再点検する必要があるでしょう。
だから恋川劇団の、そして純君を初めとする座員さんの心意気が、そしてその研鑽ぶりが頼もしくうつります。多くの旅芝居の、大衆演劇の劇団に未来はないかもしれませんが、恋川劇団、そして数少ないいくつかの劇団はきっと他の演劇にはない独自性を維持しつつ観客の要請にも応え、その地歩を確実に確保していくだろうと確信しています。