yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『王将』桐龍座恋川純劇団@梅田呉服座7月12日昼の部

恋川純座長の実力と魅力のほどが百パーセント発揮された舞台。素晴らしかった。去年の5月に京橋劇場で純さん主演の『名物住吉団子』を観て、感心至極だったことを思い出した。

今回の舞台はそれを超えていた。喜劇が自家薬籠中のものになっていた。今回は喜劇というより人情喜劇ではあるけれど。先日新歌舞伎座で藤山直美主演の『だいこん役者』を見て、そのあまりもの陳腐さにがっかりしたところだった。純さんの舞台はその喜劇性の真摯さ(ってな言葉が使えるのかどうか)そして自然さでは、直美さんの舞台を凌いでいた。嬉しい発見。「みなさん、新歌舞伎座に行く必要はないですよ。もっと『おもろい』舞台が恋川劇団で見れるんですよ!」って声を大にして言いたいくらい。

私が彼を最初に見たのは2009年3月ユラックス公演でだった。まだお兄様の純弥さんが座長をされていた。純弥さんのお芝居、舞踊(なにしろ5、6回も出られるんです)にも感激したけれど、純さんの18歳とは思えない上手さにもうなった。まるで小さなダイナマイト。エネルギッシュだった。でもどこかお兄ちゃんに遠慮している感じがあった。純弥さんが2011年2月に突然退団(引退)された後、座長として劇団を引っ張って行かなければならなくなり、彼の芸を前面に出さざせるを得なくなった。それがいわば暴力的に彼を成長させたのだと思う。もともと才能がなければ成長はありえない。でも彼は見事に彼独自の芸を築き上げつつある。元同僚が純さんを見て、いっぺんにファンになられたのも、宜なるかな。

そういえば、2009年8月の新開地公演の折に知り合ったNさんが純さんのファンで、色々楽しいお話が聞けたことを思い出す。Nさんは2010年10月に亡くなられた。私の母もその一週間前に亡くなったので、強い縁を感じたものである。Nさん、きっとお気に入りの純君が優れた座長になられたのに、あの世で目を細めておられるだろう。そんなNさんを想像するだけで、楽しくなる。最初に見たときから純さんの上手さは光っていたけど、それを早くから見抜いておられたんだろう。その後の成長も。

そして今日の『王将』。なんと初演だという。そうは思えないほど、坂田三吉が板についていた純さん。素晴らしかった。藤山寛美もかくあれかしって思わせた。三吉女房の小春をかれんさん、そしてライバルの關根氏をゲストの伍代孝雄さんが演じられた。座員さんたちもそれぞれニンに合った配役で、よく練られた台本だとわかる。映画のシーンを組み合わせたかのような場面構成だった。三吉と小春の夫婦愛を描いているのは、予想通り。

脚本が斬新。今までの大衆演劇のものとは違っていた。現代劇に近い。それも質の良いもの。第一幕は「将棋バカ」の三吉が、将棋大会に出るのに小春が信仰する「妙見さん」を質に入れてしまうところから始まる。貧困の極みで、他に質種がなかったため。この後ストーリーはこの夫婦愛と信仰をめぐって展開する。そこに絡むのが三吉のライバル關根との対局。三吉の葛藤をここに収斂させ、それが信仰によって「昇華」されて行くサマを描く。商業演劇と違って時間制限があるため、出来うる限りノイズになる脇筋は省いているのだけれど、それがかえって核になっているものを、明瞭に浮き上がらせていた。これが目立つと含みのないというか陰影のない舞台になるところ、純さんは演技力でそれをカバーしていた。

小春の死を東京で電話越しに聞き、団扇太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」を狂ったように唱える三吉の姿、圧巻だった。

芝居のテンポ、場面展開も速く、何よりもこれに驚いた。こういう芝居をappreciateできるのは若い人だろう。そういえばこの日の観客の平均年齢はかなり若い。従来の大衆演劇のそれとは随分と違っている。純さんの才能をきちんと受け止めることのできる人たち。これも感動もの。こういう上質の観客がファンであるというのは、心強い。客は劇団を映す鏡。質の面で小泉たつみさんの観客と同質だと感じた。

それにしても純さん、体調が悪く心配。芝居後、嘔吐されていたらしいのだけど、二部の舞踊ショーには出ずっぱりに近く出られた。それが全て「涙モノ」の素晴らしさ。衣装、鬘の斬新だったこと!舞踊の演出の工夫にもそれがいえた。群舞に特にそれが如実に表れていた。静かなのに激しい、そんな舞踊だった。千弥さん、春樹さんがしばらく見ないうちに芝居、舞踊ともに格段に腕をあげられていた。

ラストは「越後獅子の唄」。これは昨年8月の純弥さんの誕生日公演で披露されたもの。絶句!