yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

恋川純劇団『夫婦破傘』@京橋羅い舞座11月25日昼の部

ずっと以前、まだ純弥座長の頃に一度見て、(純弥さんでなく)純さんのうまさに唸った芝居。その後、見る機会がなかった。以前は純弥さんが夫、純さんが妻という組み合わせだった。今回は風馬さんが夫、純座長が妻。この夫婦のところに下宿している夫婦を千弥さんとかれんさんが演じた。

この芝居そのものはずっと以前からあるものだと、純座長が口上でおっしゃっていた。彼の口上は他劇団のおふざけに近い口上とか、単なる連絡事項的なものと違い、役に立つ情報満載。この点では小泉たつみさんと「口上手本」の双璧をなす。芝居の由来とか、それを今の舞台に合うようにどう改変したのかという解説、当方にとってはとてもありがたい。またユーモアのセンスも抜群で、その点でも小泉たつみさんと似ている。品の良いところも同様。九州系劇団は得てして下ネタが入ることが多く、聞くに耐えない。後味がとても悪い。そういうのを「笑い」ととるセンスの悪さ。思い浮かぶだけでも暴力事件を起こした劇団を筆頭に、いくつもある。救い難い。

さらにいえば、恋川純劇団は芝居のレベルが他劇団に比べて格段に高い。これも小泉たつみさんの劇団との共通点。人情喜劇をやらせたら恋川純さんに敵う座長はいないだろう。この日のような悲劇でも、どこかにコミカルな要素を入れ込む。それもごく自然に。その収まりの良さ!それがまだ二十代の座長さんの技ですよ。脱帽です。「これぞ上方の伝統!」って、いつも心の中で叫んでいる。お兄さんの純弥さんは喜劇が苦手だったようで、その頃の恋川劇団と現在のそれとは印象がかなり変わっているはず。現在の方が初代恋川純の芸風に近いのだろう。ほっこりとする芸。ダイナミックではあるのだけれど、ギラギラでない。オチャラケではないけど、「オモロイ」。そこに上方の粋が、神髄が、滲み出ている。こういう芝居を打つ劇団は大衆演劇でそう多くはない。恋川純さんのところはその意味で貴重な劇団。このままこの芸風を維持し、すくすくと伸びて行っていただきたい。関西の宝。否、大衆演劇の宝というべきか。

この日の『夫婦破傘』、他劇団でもよくかかるもの。恋川劇団ではなく、他の劇団で見たことの方が多いかも。悲劇なんだけど、きちんと落としどころがあり、べったりとした悲劇になっていないのが、好き。なんといっても、終盤の純さんの演技がすばらしい。今の男への断ち切れない思い、男の女房への嫉妬、これらを顔の表情で、その所作で見せる。彼女の複雑な想いを、観客に直球でわからせる。その演技が、女優さんが演じられた他劇団のものとはまるで違っている。恋川純という人のその役の解釈に、深さに唸らされてしまう。深くは考えていないようなことをご本人は仰ってはいたけれど、どうして、どうして。彼の謙虚さに乾杯!役造りの正確さは驚くべきもの。若干19歳で演じられたときにも、不自然感はまったくなかったんですからね。怖るべし、恋川純!

もっといいのは、最後に元夫と二人で雨に濡れた着物を絞るシーン。ここでも元夫への愛と申し訳なさとの間で苛まれる女の心情を、まるで本当に経験したことでもあるかのように、リアルに描いてみせる。とにかくスゴイ。どうして、あれほどまでに、純さんのお吉役でにこの芝居をもう一度見たいと願っていたのかよくわかった気がした。自分でもあまりわかっていなかったのかも。実際に舞台を目の前にすると、恋川純さんのこの女への強い思い入れが、直に感じられた。それと同時に、彼の演技者としての在り方もわかる気がした。これ、貴重な体験だった。こういう役者と舞台時間を共有したかったのだ。歌舞伎のような大舞台では経験できないもの。大衆演劇ならではの時間、体験。

来月は箕面スパーガーデンでの公演。再来月、来年の1月には神戸新開地劇場での公演。今月はなかなか観劇できなかった恋川劇団。再来月にはできるだけ見たい。