yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『伊達の十役』in 「八月花形歌舞伎」夜の部@新橋演舞場

『慙紅葉汗顔見勢』(はじもみじあせのかおみせ)というのが正式名称らしい。今回の海老蔵の口上によれば、主役の役者が顔を真っ赤にして奮闘するさまを題にしているとのこと。四世鶴屋南北作で、それ以来上演はなかった。それを164年ぶりの昭和54年に猿翁(当時猿之助)が復活させたのだが、その経緯を猿翁自身が筋書で説明している。初演は文化12年(1815)で、七代目團十郎が主要人物十人を早替わりで演じ、大評判をとったという。文化・文政時代はいわずとしれた江戸町人文化の爛熟期。そこに咲いた徒花がまさに南北作品といえる。ただ、南北の台本は残っていず、そのときの役者評判記と絵番附をもとに、猿翁が奈河彰輔と共同で脚本にしたので、創作といってもよいとのことだった。昭和54年の初演以来、澤瀉屋の「復活通し狂言十八番」となったという。海老蔵自身がこの狂言を強く臨んで、実現したのが2010年1月で、今度のが2回目ということになる。七世團十郎のものにはあの伊達騒動を描いた『伽蘿先代萩』中の「御殿」の場は含まれていなかったので、これは猿翁による新しい挿入部分である。また主役役者が冒頭の口上で、人物の相関関係、粗筋を説明するというのも猿翁自身が考えついたものだという。

長い前置きになったが、そのどれもがこの狂言を「楽しむ」上で必須、必要不可欠な要素になっているので、ご容赦。この狂言を創り上げる作業が並大抵のものではなく、大変な労力、それに何はおいてもインテリジェンスを要請したであろうことが、舞台からひしひしと伝わってきた。歌舞伎狂言のアーカイブを渉猟し、その中の歌舞伎的なもの、それも南北につながるエロティシズム、グロテスク、退廃、異端といった繊維の糸を掬いとり、ひとつの布として織り上げた、いわば猿翁歌舞伎の集大成的な様相を呈している。海老蔵もこれに挑むとは、なんという「無謀」な賭けをしたものか。私は猿翁のものを観ていないので、比較しようもないのだが、海老蔵バージョンは成功だった。(歌舞伎正統の)成田屋に生まれながら、どこか枠をはみ出してしまうその体質、父團十郎にはない得体の知れなさ、パワー、それになによりも役者としての並ぶ者のない華がある。普通の歌舞伎狂言だと昔ながらのやり方があり、それを指導する座頭等の重鎮の歴々もいて、彼本来のそういうパワーは押さえ込まれるだろうし、本人もまた自制してしまうだろう。だがこの「創作狂言」だとそいう重しはない。猿翁自身が今までの歌舞伎の枠を取り払おうとしてきた人だから、海老蔵の挑戦を喜びこそすれ、押さえ込むことは極力ひかえるに違いない。今月の南北一色の「花形歌舞伎」にはそういえば重鎮はいない。中心になっているのは海老蔵、愛之助、福助である。脇を固めるのもお歴々ではない。だからだろう、どの演目も若手がのびのびと、そして生き生きと演じていた。

閑話休題。幕があくと背景に十枚のパネル、それは海老蔵演じる十役の写真で、それが善方、悪方に分けられて並べられている。その前に紋付袴姿の海老蔵が座り、それらの人物の相関関係を説明する。
構成と下敷きになった狂言は以下のようになっている。
発端、序幕は『伽蘿先代萩』の「花水橋」の補筆。
第二幕は『色彩間苅豆 (かさね)』を補筆、改作したもの。
第三幕は『伽蘿先代萩』の「竹の間・御殿・床下」の補筆。
第四幕は『伽蘿先代萩』の「対決・刃傷」の補筆。

以上からも分るとおり、ベースになっているのは『伽蘿先代萩』で、これは1777年に上演された奈河亀輔のもの、1778年の初代桜田治助・笠縫専助合作によるものである。1815年の四世南北作品、『慙紅葉汗顔見勢』がこれらを参考にしただろうということでの、猿翁の「創作」となった。

海老蔵がそのニンにもっとも合っていたのはもちろん!悪の仁木弾正。誰がみても端然としたイイ男。そして弾正とは対照的なキャラクター、善役の与右衛門もよかった。『累』の与右衛門が色悪なのに対しここでの与右衛門は実直な忠義だての男。巧く色分けして演じられていた。女形はそれに比べるとかなり無理があったような。笑ってはいけないところで、何回か笑いそうになってしまった。あまりしゃべらなくても良いかさねはそれなりに女形として納得できたが、高尾太夫はどこかに立ちの影がみえたし、政岡も同じ立ち専門の八汐役の右近がそれなりにサマになっていた(もちろん八汐は立ち役の役柄ではあるのだが)のに比べて、ぎこちなかった。思うに、「母」としての情をこめなくてはならない役どころということもあったからだとは思う。

それと、ちょっと気になったのが、第二幕「滑川宝蔵寺土橋堤の場」だんまりのシーン。ライトがあまりに明るすぎたように思う。もちろん照明を落とす必要はないのだが、煌煌とした明りの下でのだんまりも興ざめではある。

この狂言を創りだした猿翁がもっとも力をいれたのは彼の「専売特許」の宙乗り、それとめまぐるしい早替わりだったに違いないが、それを涼やかな顔で演りきった海老蔵にカンパイ。

宙乗りは「床下」の幕切れで弾正が連判状をくわえて(『先代萩』のハイライトの一つ、妖術遣い弾正)逃げ去るところで使われていた。また、弾正の化身の例のねずみは普通は人が着ぐるみで演じるのだが、この芝居ではそれこそ大道具の電気制御の大ねずみが登場した。

早替わりのもっとも頻繁なのは二箇所あった。一つ目は第二幕の「滑川宝蔵寺土橋堤の場」の与右衛門、道哲、かさね、与右衛門、弾正、道哲、というまるで手品をみているかのような早替わりである。二つ目は第四幕目第二場の与右衛門、勝元、与右衛門、道哲、与右衛門のこれまた手品のような早替わり。客席から嘆声が聞こえたが同時にくすくすという笑い声もあがっていた。この気持ち、分りますよね。いったいどういう「術」を使ったのか、弾正に聞きたいくらいだった。比較的前の席だったので、汗だくになって海老蔵が奮闘しているのがみてとれた。ところがタイトル通り汗をかきながら「紅い顔」(?)でがんばっていた海老蔵が、次の最終場、「白砂の場」では汗をふきとり、化粧を整え、凛々しい勝元として登場。悪者たちを成敗、伊達藩のお家騒動に終止符を打ってみせる。そして主要人物が勢揃いしての観客への挨拶。観客はカタルシスを感じてほっとするという段取りになっている。もっともこの4時間以上の登場人物のやたらと多い、そして主役が延々と早替わりを遂げるのをこれ以上観なくてもよいということで(?)ほっとするというのもあったかもしれない。観ている側にもかなりパワーを要請する狂言だったのは間違いない。