yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『伝八酒』劇団花吹雪特別公演「桜春之丞、桜京之介役者人生20年」11月23日夜の部

特別公演ということでお酒のプレゼントがあった。今、それをいただきながら記事を書いている。満足度百パーセントの舞台の余韻に浸りながら。とてもいいお酒。

お芝居は『伝八酒』。ずいぶん以前に(2009—2010年)に恋川劇団、新川劇団で見ている。懐かしい人に会ったようなほんわかした気分になった。新川劇団で見たものをこのブログ記事にしているので、リンクしておく。以前に自身が書いた記事から借用した大まかな筋が以下。

老舗大店の息子の伝八は無類の酒好きで、親の作り上げた店の身代をつぶしてしまっているが、一向に放蕩を止める気配がない。金貸しの銭屋からの借財は膨らむ一方で、今日も今日とて銭屋から借金の取立てにあった妹は自殺しようとしていた。

そこに通りかかった人気役者の小三郎が当座分の50両を立替え、その場はおさまる。伝八の妹、小三郎、その弟子たちはなんとか伝八を立ち直らせる方策がないかと頭を痛めている。そうとは知らない伝八が茶店で酒を注文するが、そこのおかみに説教される始末。

帰り道、銭屋につかまった伝八は婆さんを小三郎の屋敷へ連れてゆく。小三郎に借金をたてかえてもらおうという魂胆である。しかし、小三郎からは拒否される。伝八は小三郎に自分の父親が彼を贔屓にしていたおかげで、今の役者に成り上がることができたのに、その恩を忘れたかとつめよる。小三郎は恩は舞台で返したし、息子の伝八に恩義はないとすげない返事をする。小三郎に殴りかかった伝八は逆に額を割られ、万座の中で恥をかかされる。小三郎は伝八に、「悔しければ自分を見返してみろ、そのときには額の割返しを受けてやる」という。

悔し涙にくれながら帰る伝八。それを妹が迎えに来る。二人が川端を通りかかったとき、金がずっしり入った財布を拾う。それは、小三郎が銭屋に頼み、わざと落としておいた財布だった。伝八はその金を元手に酒屋を開く決心を妹に話す。

5年が過ぎ、伝八の酒屋は酒の美味さで評判をとり繁盛している。そこへ上方で成功をおさめ江戸へと進出することになった小三郎が訪ねてくる。酒を所望するが、伝八に断られる。小三郎を罵る伝八だが、そこで小三郎が5年前に伝八の頼みを拒否したのも、彼を立ち直らせるためだったこと、また都合よく落ちていた財布の金を小三郎が用立てたものだったことを知る。成功した伝八からの額の割返しを受けようという小三郎に、伝八は謝り、あらためて礼をいう。

主人公の伝八を京之介座長、その妹のおはなを彩花さん、歌舞伎役者の小三郎を桜春之丞座長、その弟子を健之介座長。金貸しの銭屋の婆さんをかおりさん。小三郎の弟子役者を寿美さん、京誉さん、梁太郎さん、ひかるさん、恋さん。茶屋の娘をあゆみさん、いずみ屋番頭を愛之介さんという配役。

京之介さんと恋川純さんが仲が良いのは周知の事実。おそらくこのお芝居も純さんから「借りた」ものなのだろう。

京之介さんの熱演、それを支える春之丞さんの余裕ある演技。この補完しあう演技で魅せるお芝居。その阿吽の呼吸の妙に唸る。今までに見てきた大衆演劇の役者さんたちの中では突出している。演技力において、そして何よりもその理解、解釈において。見るたびに唸らされる役者は大衆演劇では皆無だったけど、初めてそういう僥倖に巡り会えた、まれなる例。

「劇団花吹雪」はその華やかさゆえにちょっと見は「チャラい」劇団に見えるかもしれない。それはまったくの誤解。これほど芝居、芸に真摯に向き合っている劇団は初めて。嬉しいのだけど、この幸運をどう受け止めていいのか、(私は)いささか怯えていたりして。真面目な一生懸命な劇団です。二人の座長のみならず、それを支える座員さんたちの結束の堅いこと。座員全員の実力の優れていること。

舞踊ショーが華やかなのを一つの「売り」にしているのは事実だし、実際にも期待を裏切らない素敵な舞台を魅せてくれる。でも私が強調したいのは、お芝居の方。

ありとあらゆるジャンルの芝居を、そして他劇団のもち芝居を借用、自身のレパートリーを拡げる姿勢にまず唸る。他劇団が大衆演劇の枠をはみ出すことができないのは、いわゆる「パクリ」ができないから。それは道徳的にというよりむしろ力が足らないから。その点、花吹雪には逡巡はない。良いものであればジャンルを問わず、他劇団のものを問わず、積極的に採り入れる。しかもそのアダプテーションにミスがない。実に的確。劇団に、そしてその座員に合うようにアレンジして魅せる。ここが座長二人の頭の良さと大胆さを感じるところ。お見事!と、唸ってしまう。こういう積極的な姿勢で芝居の引き出しを無限大に拡げるその心意気に感動せざるを得ない。

「パクリ」ということであれば、「花吹雪」はそれをきちんと明示する。「どこそこの劇団からのものなんです」っていうように。それが大衆演劇の他劇団のものであれ、歌舞伎、新派のものであれ、映画のものであれ、松竹新喜劇のものであれ、それを明示することで観客の側も心置きなく楽しめる。