yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「合邦庵室の段」in『摂州合邦辻』夏休み文楽特別公演第2部@国立文楽劇場8月3日

第2部は『摂州合邦辻』、それに『伊勢音頭』という豪華な組み合わせ。それぞれハイライト部分を選んである。

『摂州合邦辻』はもとを辿れば室町時代にすでに流布していたという「俊徳丸伝説」から派生したものである。一説にはさらに遡った時代にこの伝説があったというほどの古い伝説である。継母に毒を盛られた上にライ病にも冒され、四天王寺にまで流れ着いた河内国高安の長者の息子俊徳を、俊徳丸に恋する娘が訪ねあて、観音菩薩に祈願することで目も見えるようになり、また病気も治ったという伝説である。継母と息子との禁断の恋という設定は後代になってから加わったものだろうが、西洋ではラシーヌの悲劇『フェードラ』の元になった『ギリシア神話』にも同様のテーマがある。この母子間の恋は、もちろんフロイトの唱えるところの「エディプスコンプレックス」が下敷きになっているわけで、所、時代がかわろうが人に共通した深層心理といえるのかもしれない。

「俊徳丸伝説」は現代では寺山修司の劇、『身毒丸』に姿を変えている。これには寺山自身の母への屈折した思いが反映していて、息苦しくなるような濃厚な感情の彩が描かれている。

以前にこの『合邦』を住大夫さんの切で聞いた折、同伴していた文楽は初めてという同僚があまりに泣くので、ちょっと困った経験がある。もちろんそれほど感動的だったのだ。

今回の『合邦』は「合邦庵室の段」のみ。切は嶋大夫さん、三味線は富助さんという最強の組み合わせ。私の最も好きな大夫さんと最も好きな三味線弾きさんの組み合わせである。嶋大夫さんの何度も上体を起き上がらせての熱演、今でも耳に残っている。富助さんの三味線もその熱演を強力なバチとかけ声でサポート、私にとっては忘れられない最高のシーンとなった。

庵室の場で俊徳に毒を持って盲目にしたのは自分だと告白した玉手に向かって浅香姫がなじるのだが、その姫に対しての玉手の様が以下の下りに描かれている。

玉手はすつくと立ち上がり
「ヤア恋路の闇に迷うた我が身、道も法も聞く耳もたぬ、モウこの上は俊徳様、何処へなりとも連れ退いて、恋の一念通さでおかうか。邪魔しやったら蹴殺す」
と、飛び掛かつて俊徳の御手を取つて引つ立つる
「アラ穢らはし」
と振り切るを
離れじ離れじと追ひ廻し、支える姫を踏み退け蹴退け、怒る目元は薄紅梅、逆立つ髪は青柳の姿も乱るる嫉妬の乱行

ここで玉手の様を語る嶋大夫さんの何とも色っぽかったこと。たしかに玉手はニックキ仇ではあるものの(あとで歌舞伎では十八番の「もどり」になるのだが)、この「薄紅梅」、「青柳」というメタファーはまるで彼女の怒ったさまが美しいことを表すものとしか考えられない。嫉妬に狂った女性というのは文学が好むテーマの一つであるのは『源氏』の六条御息所があれほどまでに、つまり主要な女性の紫の上すらも喰ってしまうほどの「魅力的」な女性として描かれるという前例をみても明らかである。『合邦』のこの下りの作者菅専助の筆も、ここで冴え渡っている。おそらく全霊をこめて書いた下りだろう。大夫さんも全力をつくして語り、人形の遣い手(吉田和生さん)も日頃の穏やかさとは違う激しさで遣っていた。迫力満点のそして熱気120パーセントの舞台になっていた。

『伊勢音頭恋寝刃』は稿を改める。