昨日のブログで北尾吉孝さんの「ポスト・インダストリアル・ソサエティ」についての見解を紹介したが、池田信夫さんもこれをとりあげ、「ポスト工業化時代は江戸時代?』というタイトル記事の中で言及されていた。奇抜なタイトルだが、内容は非常にホットなものだった。日本がいわゆる「ものづくり」で再び輝くことがないなら、これからどうポスト工業化時代に備たらよいのかを探るものだった。
結論は明解である。江戸時代がそうであったように、文化という三次産業で巻き返しを計るという提案だった。対象になる消費者は「老人」である。老人たちにとっての最大の問題は年金よりむしろ退屈だという。以下に引用する。
サラリーマンは仕事をやめてから平均20年以上、何もすることがない。人々が退屈をきらうのは、おそらく狩猟民としてのDNAの中に変化への欲望が埋め込まれているからだろう。絶えず「脱コード化」する資本主義は、その変化への欲望を満たすシステムである。
しかし成長が止まった21世紀の日本が直面しているのは、人々がいかに退屈とともに生きてゆくかという新たなチャレンジである。この空白を埋める暇つぶしは、囲碁とか将棋とか俳句とか、江戸時代に発達した趣味が多い。それは低コストだが洗練されており、いつまでも飽きない。江戸時代こそ、人々が身分や住居を固定されて極限まで退屈した時代だったからである。
歌舞伎や浮世絵など世界にも比類のない文化を生み出した江戸時代は、ポスト工業化社会の暇つぶしの宝庫である。その精華ともいうべき吉原を根絶したのは惜しまれるが、その伝統は世界に誇るアダルト産業に継承され、アジアでも強い支持を受けている。世界に先駆けて老人大国になる日本は、製造業では役に立たなくなった江戸時代型システムを新たな比較優位の源泉にすることができるかもしれない。
どうですか、なぜ「江戸」なのかがよく分かりますよね。
一部「過激」と思える箇所もあるが、大筋でその通りと首肯できる。「暇つぶし」を必要とする老人がこれからの消費活動の中心となっていくなら、日本の産業構造もそれにあわせたものに変わる必要があるだろう。昨日の日経朝刊の特集記事にもなっていたが日本のアニメ、マンガといったコンテンツ産業は今や世界が注目する魅力的なものに成長している。これらはまさに江戸文化の流れをくむものである。また、日本人がその本領を発揮することのできる成長産業の一つであることに間違いはない。江戸的なものは現在は若者層の中で健在であり、また隆盛を誇っているが、それが老年層に広がる可能性もあるのだ。
私がここで連想したのは「大衆演劇」だった。先日池田呉服座で「劇団美山」の昼公演を観た折、客席を見回してある感慨をもった。それは圧倒的な数の中高年女性が集う空間になっているという事実だった。江戸の昔から「芝居見物」は女のものと相場が決まっている。中高年の女性がこれほどまでに惹きつけられるのであれば、その連れとして男性も観劇することも多くなるだろう。池田信夫さんがいうように、中高年があまりお金をかけずに目一杯楽しめる娯楽として、「大衆演劇」は突出して魅力的である。すでに一部の中高年層女性には知られていはいるけれど、まだまだ知名度は低い。でもポスト工業化社会に社会全体が移行するなら、必然的に注目を浴びるかもしれない。そう強く願っている。