yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『三婆(さんばば )』@新歌舞伎座 4 月16日夜の部

有吉佐和子の代表作の一つ。私には初めての狂言。以下が新歌舞伎座のサイトからの情報。

有吉佐和子:原作 大藪郁子:脚本 石井ふく子:演出

出演:水谷八重子 浅丘ルリ子 山本陽子 ほか

金融業者の武市浩蔵が、神楽坂にある妾の駒代(浅丘ルリ子)の家の風呂場で倒れ、ぽっくり死んだ。本妻の松子(水谷八重子)はうろたえている専務の山本充雄(佐藤B作)の尻を叩いて、通夜の場を本宅へ移した。裸一貫で武市産業を作った浩蔵だが、死んで借財だけが残り、その返済のために渋谷の妹のタキ(山本陽子)の家と本宅の裏庭の一部が売却され、松子の住む家だけが残った。ところがある日、突然タキが松子の家に引っ越してきたのだ。タキは、故人の妹は本妻と同等かそれ以上の相続権があるものと信じ、居座るつもりでいる・・・。さらに駒代も、新橋に料理屋を開業するまでの一ヶ月間、部屋を貸してほしいと申し込んできた・・・。こうして肝に一物もった"三人の婆”が、一つ屋根の下に住むことになったのだが・・・。

Wikiに記載されている「原作」とはちょっと違っているような。Wikiの記載は以下。

『三婆』(さんばば)は、1961年に発表された有吉佐和子による小説、及びそれを原作とした1974年公開の日本映画。テレビドラマ化・舞台化も繰り返しされている作品である。
会社社長が空襲で家を焼け出され、妹のタキの家に妾の駒代同伴で転がり込む。駒代が気に入らないタキは、本妻の松子を呼んで同居することになる。そんな中、社長が急死。戦後の混乱の中、いがみ合いながらもそれぞれに変化していく3人の「婆」のと周囲の人たちが巻き起こす騒動を描いた喜劇。

石井ふく子版は時代設定を現代に移してのもの。かなりの改変があったよう。二幕構成になっていたのだけど、第一幕の金融業者の武市浩蔵が亡くなって直後の方はいささか退屈だった。状況説明を役者の会話から判断させるため、冗長になるのは仕方ないのかもしれない。また、これは脚本の問題かもしれないけど、浩蔵本妻の松子(水谷八重子)、妾の駒代(浅丘ルリ子)、浩蔵の妹のタキ(山本陽子)それぞれのキャラがあまりたってきていなかった。もっと言葉のバトルがあっても良かったのでは。せっかく水谷八重子、浅丘ルリ子、山本陽子といった「大女優」たちがうち揃っての舞台、それぞれを生かす工夫が余り出来ていなかったように思う。

演出法もかなり旧式で、平板。だから余計に退屈に感じた。もっとも観客の多くが年配者だから、テンポの速い、また言葉の応酬の激しいものはうけつけないのかもしれないけど。

第一幕、この三婆の間の確執の緩衝材として投入されたハワイ生まれの日系三世の娘に与えられた「狂言回し」の役割、それが単なる雑音に聞こえてしまった。原作にこの役があるのかどうかは分からない。でもこの役を生かす工夫が出来ていたようには思えない。これは演じた藤田朋子の問題なのかもしれない。冗漫さが助長されてしまっていた。石井ふく子演出、(友人が言うには)あの「渡る世間」の面々が起用されているとのこと。私はこの番組をほとんど見てはいないけれど、人物間にある種の馴れ合いを感じてしまった。特に子の藤田朋子に。馴れ合いを舞台に持ち込むのは、やっぱりダメでしょ。

第二幕からは各女優たちが本領発揮。いかにもひねりの効いた有吉の作品らしくなっていたので、第一幕よりはるかに楽しめた。でもやはり「古い」感覚は否めない。こういうことをいうのは、ないものねだりなんですけどね。三人の女優さんたち、老齢を思いっきりデフォレメしての大奮闘。そりゃ、美人で鳴らした人たちですもの、どこかに衒いはあったかも。でもそれを微塵も見せずに老醜を演じたところに、女優魂とでもいうべきものを確認できた。第二幕はきっと彼女たちの自由にやらせたのだろう。第一幕もそうした方が面白かったような気がする。

役者で言えば、山本を演じた佐藤B作が良かった。こういう人物像、彼の本来の姿とは180度違ったものだろう。自身とは正反対の(?)人物造型をきちんとできるのは、さすが小劇場で鳴らしてきたことだけのことはあると、感心した。山本という「番頭」の典型のような役を、かなりデフォルメして演じているのだけれど、それをいかにも「等身大」と思わせるのがミソ。B作は見事にそれをクリアしていた。すごい!