yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『伊賀越道中双六』第二部@国立文楽劇場11月4日

友人が抽選で半額券を入手してくれたのだが、第一部は抽選に当たらなかったという。通し狂言だったので、前半を観ていないとどうしても話がよく分からない。歌舞伎でも前半部の「沼津」の段はよく上演されるので、その部分だけは知っていた。あの段だけ単独で上演される意味が判った。この長い狂言では唯一主筋から独立しているからなのだ。だから通しで聞くのは初めて。全体像を筋書で知った始末。

曾我兄弟、赤穂浪士の例と並ぶ江戸時代の「三代仇討ち」の一つ、荒木又右衛門の敵討がモデルだという。筋書にある東大資料編纂所の山本博文氏の「『伊賀越道中双六』の真相」という文が参考になった。あらかじめ読んで出かけるべきだった。赤穂浪士の場合と同様、実際にあった事件を脚色したものだが、実際に合った事件の経緯は芝居と同様、あるいはそれ以上にドラマチックである。複雑に入り組んだ人間関係、それを生み出した大名間の勢力争い、それを統括する幕府の思惑といった政治的背景は、まさに赤穂浪士を思わせる。幕府も官僚機構になっていたわけで、その背景では「敵討」はさぞ扱いにくい、処理しにくい問題だったに違いない。そこに大名家、旗本たちの力関係が絡んでくるから、様相はより複雑になる。そういう事情を知らないでこの芝居をみたら、大しておもしろくない芝居に思えるだろう。私もそうだったから。どちらかというと、女性向きではないかもしれない。

大夫陣も三味線も全般に若返って力が感じられた。大御所の名人達が身体の不調で仕方なく若手にその座を譲り渡しているのだろうけど、それが逆に功を奏していると思う。今まであまり出て来ていなかった大夫さんが表舞台に出るようになって、彼らの実力を確認することができた。特に良かったのが「竹薮の段」を語った豊竹靖大夫さん。相三味線の鶴澤寛太郎さんもよかった。清新な気が満ちていた。切りはこれ以上ないベストコンビの嶋大夫、富助だったのに、半分くらいは寝てしまっていた。風邪薬のせい。せっかくの演奏の大半を聴き逃したのは、自分が赦せない。

後半は幕間に飲んだコーヒーのおかげもあって、きちんと聴き通すことができた。それでやっと全体像が見えたという始末。なにがなんだかチンプンカンプンだったのが前半。

通し狂言というのは果敢な挑戦ではあると思うけど、こういう演目だと若い人は食いついてこない。観客は中高年ばかり。それも教師か元教師と思われる風体の人が多かった。こういう雰囲気大嫌い!楽しんで聴いているというのではないから。大衆演劇の観客のあの熱気とは対極にある。文楽も過渡期に来ているのは間違いない。前回に観た折よりも動員数が減っていた。こういったあまり一般受けしない演目を選ぶなら、それなりの工夫が必要だと思う。古典は古典として、時代に合うよう多少の「改変」を施しても良いのではないだろうか。