yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

近所の桜並木

9月末から1時間あまり近所を速歩で歩き始めた。アメリカで「暴食」の結果体重が増えたので始めたのだけど、1ヶ月経ってもそう体重に変化がなくて、がっかり。ただ太ももに筋肉が若干ついてきたような。運動大嫌い人間がここまで続くとは思っていなかったので、自分がいちばん驚いている。台風の大雨と、今週の博多行きで計3日歩かなかったが、なにか身体がなまってしまった気がした。たぶん、歩くことが好きになってしまったのだろう。授業が朝9時からの月、水、金曜日は5時20分に家を出て駅まで20分あまり歩き、帰りも駅から歩いている。食料を買い込んで荷物をもっているときは仕方なくバスに乗るが、帰宅してから近所を30分余り歩くことにしている。もっとも効能があったのが、精神安定をもたらしてくれたこと。もう朝起きたとき「虚しい」とは思わなくなった。そう思ったら歩けば良いわけで、気が大分楽になった。

授業が2時間目からの火曜日、オフの木曜日、そして土日は朝5時半に家を出て、宝塚高校までの心臓破りの坂を昇りきり、それからずっと回り道をして逆瀬川駅まで降りて行く。途中平地があれば走ることも。このルートを毎日変えていると、今まで知らなかった近隣の様子が判るようになった。アメリカだとブロックごとに住人の階層分けが著しいのだけど、あれほど極端でないにせよ、この辺りにもそれはいえる。もともと丘陵を切り開いて造成した土地だから、きちんと計画に沿って建てられた家は比較的新しく、豪邸とまでは行かなくともそこそこ立派だ。一方、昔ながらの区域は古い家が多く、中には誰も住んでいないようなものもある。その横にこれまた古い家を取り壊してチマチマとした家が何軒か建てられているというのもある。昔からの地域は道幅も新興造成地よりも狭かったりする。でもそこに昔風の洋館のステキな家があったりする。こういう地域の一つが寿楽荘という一画で、桜並木が美しいストリートがあって、目の保養になる。これからは紅葉がきれいだろうから、デジカメで撮ろうかと考えている。

そういや去年11月は東京で池波正太郎の足跡を辿っていたんだっけ。ついでに(?)明治座猿之助襲名興行を観、国立劇場幸四郎の南北を観たことを思いだした。あのときは浜町辺りをけっこう歩いて疲れてしまったけど、今の私だったらあまり疲れなくなっているんではないかと、都合のいい憶測をしたりしている。