こういう三枚目の「できそこない」を演じたら、若丸さんの右にでる役者はいないと思います。それがどれほどのレベルかは、実際に観ていただかなくては分かっていただけないでしょう。喜劇の肝は「間」の取り方ですが(もちろん悲劇でもそうですが、喜劇の場合は特にそれによって全体が決まります)、これほど上手い「間」の取り方は大衆演劇では初めてです。それは訓練で得たというより、むしろ天性のものなのだと思います。「なんて自然なコメディなんだろう」というのが、最初に若丸さんの芝居を観たときの率直な感想でした。そしてそれは今も変わりません。というか、その絶妙の「間」の取り方に改めて感服しました。
他の劇団員との息があっていないと、その「間」も間抜けたものになってしまうのですが、この劇団ではそこのところはぱっちりです。これほど劇団員(座長も含む)同士の仲の良いところはあまりありません。
一歩間違えばなんとも退屈な芝居になるところ、若丸さんのアドリブが「救い」です。最近になってようやくこの劇団のそういう特徴がよめるようになってきました。フルクサイ芝居の構成を変えて舞台に乗せ、加えてアドリブでいくつもの「抜け穴」を創るというのが「工夫」のようです。その工夫で元の芝居に生えていた黴が取り除かれ、今の観客の嗜好にあったものとして舞台に上がるのです。そこまでやってくれるのですから、観客が喜ばないはずはないですよね。たしかにこの劇団のお芝居で「がっかりする」ことは一度もありませんでした。
舞踊ショーの中で、若丸座長が女形で舞った「時の流れに身をまかせて」は、圧巻でした。白い着物で目も覚めるほど美しい座長が目の前に来たとき、なんともいえない感動が私を包み込みました。その瞬間、「時を止まれ」とばかりに全身全霊で歌詞中の人物を演じる座長に、気持ちがシンクロしたような気がしました。なんともいえない感動に圧倒されました!これはまさに三島由紀夫が舞台で演じる歌右衛門をみたときの感想と共通するものではないかと、(勝手に)想像しています。それは、「この真っ昼間の舞台で、外の喧噪からはまったく隔絶して、一人の美しい踊り手が踊っている」というものでした。この「美しい踊り手」はここでは若丸座長なのです。