大衆演劇で『明治一代女』を観て以来、次の国際学会にはこの作品で発表をしようと考えていた。3月プラハでの学会だけれど、プロポーザル提出期限が9月末なのに、まだできていない。この記事を書き終わったらつづきをして、今日の午後には提出するつもりである。締め切り後なので受け付けてもらえないかもしれないけど。その場合は別のところに出すつもりにしている。
この映画は芝居をみた後にすぐ買った。また川口松太郎の原作も読んだ。映画は期待ほどではなくて、がっかりした。伊藤大輔監督のものを観たことがなかったので、これが初めてだったが、どこか「無理をしている」という感があった。川口松太郎の原作がすばらしいのに、それが十分に伝わるような映画になっていなかった。新派は原作に沿っての演出だっただろう。というのも、スーパー兄弟版がおそらく新派に倣ったものだっただろうから。
もちろん発表の際に映像を使うので映画を買ったのだけれど、今回もっと良かったのは脚本を書いた成澤昌茂さんへのインタビューが読めたことだった。これはおもしろかった!成澤さんは溝口のスクリプトを書いていた人で、このとき伊藤組に借り出されたのだ。その成澤さんが伊藤の映画作りを(溝口のそれと比較して)「古い」とばっさり切り捨てているところがとくにおもしろかった。
まず、時代考証に関してだが溝口も伊藤もうるさく、事前に山のような資料を読ませるところは同じだけれども、溝口は映画を撮る段階になると「すべて忘れろ」というという。対して伊藤は「その通りやれ」という。成澤さんは「その通りやると、間延びしたり、説明的になったりするんですよ」と、明らかに伊藤に批判的。
また、溝口の伊藤批判を披露する。
溝口さんがよく言っていました。「伊藤のは時代劇だ。でも映画には時代劇なんてないんだ。みんな現代劇なんだ。その時代にそこしか生きられなかった人間の悲劇を描くのが映画なんだ。現代の眼でその時代の人間を見つめるのが映画なんだから、全部現代劇なんだ。ところが伊藤は全部時代劇だと思っている。だからあいつはダメなんだ」と。辛辣ですよね(笑)。確かに伊藤さんの映画には時代劇特有のハッタリがありました。溝口さんは「映画監督の三大要素は、卑屈で、ずるくて、ハッタリ屋であることだ。それがないのは俺と小津だけだ」ナンてことも言っていました。
この部分はたしかに歴史が証明しているわけで、日本映画の傑作の最高峰に小津と溝口は名を連ねている。また、今の歌舞伎、大衆演劇の芝居を思い合わせてみると、興味深い。
もっと面白い箇所は伊藤が「「芝居の上の芝居」がおまえには書けない」と、溝口組の成澤さんに説教を垂れるところである。その「芝居の上の芝居」とは一体どんなものかと問うインタビュワーに、成澤さんが答えて曰く、
普通は、ある場面を描くとき、まあこうやってしゃべっていたりするのをそのまま描写していきますね。「芝居の上の芝居」というのはそれに見得や外蓮を入れ込んで見せ場を作るということですかね。
そして「リアリズムではなく、ハッタリを効かせた見せ場の芝居ということですか」という聞き手の問いに、
そうです。でもそれはサイレントなら成立した芝居ですよね。それで僕は「それは古いんじゃないですか」と言ったところ、伊藤さんは怒りましてね。「君には書かせられないから僕が書く」といって、その場面は最初から伊藤さんが書きました。
と、答えている。そのときの二人のやりとり、否(溝口の影が成澤さんの背後にみえるので)三人のやりとりはまるでドラマをみているようで、映画よりオモシロイかも。
その場面が映画「明治一代女』の見せ場の一つ、巳之吉がお梅に自分の気持ちを切々と訴えるところであるそうな。たしかにここはかなり冗漫である。伊藤がリアリズムを「意識」するとこういう形になってしまうのだろう。溝口とは雲泥の差である。
というわけで、成澤さんの批判とおり、映画版にはかなり辛い点を付けざるを得ない。溝口が撮っていればこうはならなかっただろう。溝口の『残菊物語』は原作を換骨奪胎しているけれど、おそらく後に書かれた新派版にはないすごさがある。「女」の悲劇、かつその崇高さを描ききるという点では溝口に勝る人はいないだろう。溝口が若くして亡くなったのは残念というほかない。