毎年2回は国際学会で発表することをここ数年間、自分に課してきたのに、去年度(2010年4月ー2011年3月)は1回のみプラハで3月14日から16日までのものだけだった。例の震災直後で、迷った末に出かけたので今もって「やった!」という感じがしていない。
それはオックスフォード大学のアフィリエイトの学会で、グループがいくつかあり、それぞれがテーマを決めている。今年私が出たのは「トラウマ」がテーマのグループのもので、去年は「悪」がテーマのグループに参加した。開催場所はオックスフォードを拠点にヨーロッパのあちこちである。去年の「悪」はザルツブルグで、今年の「トラウマ」はプラハだった。来年の3月にこの学会の数グループが一斉にプラハに「集結」することになったようで、先日プロボーザルを出すようにとお誘いがきた。で、今思案中である。
もう1件、10月にポーランドのヴロツワフ(Wroclaw )で開かれる「Popular Literature and Culture in the Context of “Old” and “New” Media」というテーマの学会でも発表しようかと考えている。でも今の調子だと10月、3月はきついかもしれない。この夏の間に英語論文を2本仕上げるということだから。もちろん8ページ前後の発表原稿だけでもいいのだけれど、いずれにしてもあとでそれを25ページ以上の原稿にしなくてはならないから、はじめから論文のつもりで書いた方が効率がよい。それに発表原稿だけだと、あとで迷って大幅に書き直す羽目になることが多い。
これだけ頻繁に観劇していると、落ち着いて論文を書く時間にしわよせがくるので、やっぱり1回だけにしておくべきなのかとも思う。日本語の論文ならテーマさえ決まればわりと短時間で書けるけれど、英語となるとその何倍か時間がかかる。でも最近は英語で書くのもある種(自分をイジメル)快感のようなものがあって、きらいではない。
そういえばアメリカでは英語でペーパーを書くのに本当に苦労した。いちおうある程度英語には自信があったのだけれど(これがまったくの自己過信だったことが後で判るが)、非常に短い時間の間に何本も20ページ程度のペーパーを仕上げなくてはならないと判明したとき、これでは生き残れないと観念した。それでも時間は過ぎて行くので、いろいろな助けを借りた。アメリカの大学には「ライティング・センター」なるものがあって、アポをとれば1時間程度書いた英語をみてもらえる。毎週2、3回ペーパーのドラフトをもって出かけて、みてもらっていた。英文学科の博士課程の学生(ペンシルバニア大の英文科English Literatureは全米トップの一つ)が同様のライティングのチュータリングをやるサービスも別にあり、それは博士論文を書いているとき頻繁に利用した。大学院生の集まりで知り合った院生がチューターをやってくれたこともあった。彼女のアドバイスは適切で感心したものである。
日本で発行されている「国際学会誌」のようなものに出くわすと、論文本文が日本語でもアブストラクトは英文なのでそれに目を通したりする。そして唖然とすることが多い。どういえばいいのか、和英辞書と首っ引きで日本語を無理矢理英語に「置き換えた」といった体のものがかなりある。ネイティブスピーカーにみてもらわなかったのだろうかと思う。書いたのはおそらく若い人ではなくある程度名前も知れた学界の「重鎮」なのではないかと憶測している。多分裸の王様でだれも注意できないのだろう。翻訳を一回でもしてみれば分かるけれど、英語を日本語に、あるいは日本語を英語に訳すというのは、オリジナルとは違ったものを新たに創りだすという作業である。日本語はどうやっても英語にはならない。つまり、英語で文章を書くということは、まず英語モードに頭を完全に切り替え、その中で思考しつつその思考を言語化するということだから。そこに日本語が介在するはずもないのだ。
英語のペーパーやら論文を書いている時にいちばんこたえたのは英語で書くと自分の思考がどこか「幼稚」になってしまうことだった。この思いは何年間も消えなかった。今だってないことはないけれど、でも博士論文(Ph.D. thesis) を書いたときに英語を書きまくったおかげで、そして恥をかきつつ直しまくったおかげでかなり図々しくなり、ここまでやったんだから腕は上がったはずだと思うことにしている。