yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

シカゴの学会発表には『陰陽師』をつかうことに

11月末のロンドンでの「ポップカルチャー学会」では大衆演劇をテーマに発表した。ここ7年間にわたり50劇団以上みてきた大衆演劇と、歌舞伎の比較をした内容。それぞれの発生等を辿る歴史的考察が主眼。ただ、ヨーロッパでは(当然といえば当然だけど)オペラならぬ歌舞伎の認知度は高くない。大衆演劇においておや。比較するといっても、その区別もつかない聴衆(研究者)に「理解」してもらうのは至難のわざだった。ポップカルチャーはポップカルチャーでも、アニメの場合は事情が違った。欧米にはアニメファンが多いから、プラハやアメリカのニューメキシコでの「攻殻機動隊」や「下妻物語」についての発表は、もっと「解説」が楽だったように思う。

歌舞伎は20年以上も観てきているので、大衆演劇歴はそれに比べると、短いといえるかも。英語で書かれた研究書、批評書の類いは歌舞伎でも多いとはいえない。ましてや日本の大衆演劇論なんて研究書は皆無に近い。論文では何本かはあるけど。これはある意味ニッチなので、批評書を上梓するつもりにしている。拠る理論はポスト・コロニアル、もしくはカルチュラルスタディになるだろう。今度の発表である程度の道筋が付いたと確信した。もちろん英語で書くのだけど、ペーパーメディアではなく、ネットでの出版を考えている。

ただ、ちかごろ大衆演劇そのものに「嫌気」がさしてきている。演劇としての内容ではない。そうではなくて、問題は劇団、それもそのトップ、それとその一族。すべての劇団ではないにしても、劇団の体質、内実がみえてくると、げんなりすることが多い。とくに劇団内での様々なハラスメント。刑事事件にまで発展した例の「S兄弟」の劇団での暴力事件。あれは「例外」ではなく、日常的にあるのではないかと、疑ってしまうようなことを目撃する。そうなると、いわゆるパワハラの類いは日常茶飯事?と考えざるを得なくなる。劇団という、あまりにも狭い閉鎖空間。しかもほとんどの役者はそれ以外の世界を知らないので、パワハラをパワハラと認識できないのかもしれない。それが社会において、いかに忌避されることか、想像できないのだろう。観客の質がもっと問題。オペラ、バレエ等の観客、小劇場、商業演劇、歌舞伎のそれと比べても、観客の質の違いは明白。

とはいえ、そういう状況下でも燦然と輝く役者さんがおられるのも事実。「こんな厳しい環境に、よくぞいてくださった!」と心から感謝の気持ちがわく。その方たちがより輝ける環境になって欲しいと、強く、強く願う。なんとか力になれないものかとも思う。

まあ、とにかく大衆演劇「論」はちょっと置いておいて、6月のシカゴでの学会発表の準備に入ることに。全体の包括テーマが「Nature」なので、「Super-natural」を扱った映画『陰陽師』を論ずることに。歌舞伎にもこの類いはいっぱいあるけど、羽生結弦さんのすばらしい演技にあやかり(ファンの方、スミマセン)、これに。また染五郎、勘九郎、松也の出た歌舞伎の『陰陽師』も2013年9月に歌舞伎座で観ているので、それもリンクできたらと考えている。