yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『平家物語』

全巻制覇されたという加藤秀俊さんに刺戟されて、わたしも「平家』に挑戦してみようかと考えている。英語版だと全巻もっているし、ペンシルバニア大学のPh.D. の論文提出資格試験(「コンプ」という)のためにある程度めぼしい章には目を通した。以前のブログ記事にも書いたが、平家は口述なので異本がいくつもあり、互いにかなり異なっているとのことで、どれをもとにして「解答」するのかを考えろといわれていた。また、成立の過程も調べるようにといわれていた。結局そのあたりの質問は出題されなかったのだが、でも何ヶ月かを平家に没頭してすごした記憶は鮮明に残っている。とても楽しかった。

平家の公達がとても人間らしくて、妙に身近に感じられたものである。私のお気に入りはなんといっても小松殿とよばれた清盛嫡男の重盛。横暴、独善の清盛の正反対の冷静沈着、温厚な人柄として平家では描かれている。

次に来るのが知盛。鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」といって入水したと記述されている。貴公子で魅力的だった彼の覚悟を決めての最期には「あはれ」としか形容する言葉以外思いつかない。

概して平家の公達は魅力的であるのに対し、源氏方はそれほどでもない。これは平家一族への鎮魂のために発案された平家物語の由来が関係しているのかもしれない。私がその時調べた文献によると平家への鎮魂のみならず、後白河天皇の異母兄、崇徳天皇への鎮魂も強く動機としてあったそうである。崇徳天皇は三島由紀夫の好きだった上田秋成の「白峯」に登場するし、また三島自身の『椿説弓張月』ででも重要な役を占める。といわけで、平家と三島とがつながったような気がして、コンプの試験勉強にも身が入った。

また崇徳天皇の鎮魂を指図した後白河天皇(上皇)にもかなり興味を惹かれた。特に彼が当時の今様という歌謡に入れあげていたということを知って、いつかその今様なるものを調べたいと思っていた。加藤秀俊さんの『メディアの発生』の中に、まさにそのあたりのことが書かれていて、とてもうれしかった。後白河という天皇がなみはずれて「異常」、異端だったのは『梁塵秘抄』からも分かるとのことである。これも読書リストに加えなくては。平家最後の巻は彼がもと嫁の建礼門院、すなわち清盛の娘で安徳天皇の母徳子を隠遁の地、大原を訪問する「灌頂巻」で終わっている。この巻はまことに無常観を、「もののあはれ」を演出して秀逸である。