yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

旅芝居の系譜

加藤秀俊さんの『メディアの発生』に魅了されている。とくに琵琶法師がメディアになって、さまざまな形態の『平家』が流布していったさまが、単なる知識としてではなくきわめて具体的に生き生きとたち現れてきて、まるでその現場に目撃者として立ち会っているような気になってしまった。「ニューヒストリシズム」という文学理論の一派があって、シェイクスピアの作品などを土台にして当時の人間の生き様をリアルに再現するのだけど、まさにその手法をみている気がしている。歴史のクロノロジカルな横軸だけではなく、隠れていた縦軸の部分がくっきりと顕現する場にいる気がしている。めくるページが、章が興奮の連続なので、刺戟されて想像が広がり、そこからいろいろなアイデアが浮かんできて、それがあまりにも怒濤のように押し寄せてくるので、未だに制御不可能な状態である。

中でも、「芸能の流布、発展」についていろいろなヒントをいただいた。芸能、特に大衆演劇といわれている旅芝居の横軸と縦軸について考えさせられた。服部幸雄さんは、「地方に残る地芝居が大歌舞伎といわれていた現在の歌舞伎との交流のなかで成立していったのではないか、そしてその交流には大歌舞伎、大芝居から外れて旅をしていた役者が仲介、メディアとして存在していたのではないか」という仮説をその著書で提出されていた。加藤秀俊さんの著書にあるのは『平家』が琵琶法師を介して流布していったそのさまである。覚一が當道座という座を形成、その権威を確立して行った過程はそのまま歌舞伎が近代になって政府やら松竹によって庇護、権威化された過程とよく似ているように思う。体制化(institutionalized) される過程ではそれにはまらないものは当然異端として排除されてしまうか、劣ったものとして卑しめられるだろう。

しかし芸能は庇護されて生き残るものではないはずである。体制に組み込まれることで、もともともっていた(野性的な)パワーは当然落ちて行く。演劇にもそれはあてはまる。演劇的なもの、芝居の原型のようなものと無縁で中世、近世の庶民が生活していたとは考えにくい。となるとずっと連続して「演劇」は形を変えつつも存在し続けてきているに決まっている。オーソライズされていないものほど、その時代時代のはやりものを取り入れて、融通無碍に庶民の好みに合わせながら発展してきたに違いないのだ。今の旅芝居(大衆演劇)の芝居の内容と形式、そして舞踊ショーの音楽と舞踊とのコラボレーションなど、時代の嗜好に合わせたものになっているのは、この2年余りずっと見続けてきたので明言できる。時として余りにも大衆迎合ではないかとおもうときもないわけではない。でもみるものとの周波数があったときのものすごい爆発を目撃してしまうと、それすらパワーの源泉に思えてくる。時代に合わせているので形は今のようになっていても昔の芝居の子孫であり、昔の観衆の歓喜の様そのままが甦ってくる気がする。

それが演劇の、芸能の古層を歌舞伎よりもより残していると思うのは、演者が巫女(メディア)の役を果たしていると思う瞬間に何度も立ち会ったからである。歌舞伎ではそう感じたことは一度もない。たんに一つの演劇形態としてみているだけである。このあたりをじっくりと考えたい。