yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『私を離さないで』と『アナザー・カントリー』の中の英国寄宿舎

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(以下『わたし』)の中に、寄宿学校生活の描写が出てくる。読んでいると図らずもジュリアン・ミッチェル原作、マレク・カニエフスカ監督の『アナザー・カントリー』 (Another Country、1984) を思い出してしまった。もっとも、『アナザー・カントリー』 の方は少年ばかりの寄宿学校で、『わたしを離さないで』中の男女共学のものとは違うけれど。

ひところ『アナザー・カントリー』 に夢中になって毎日観ていた。ゲイ映画ということでは同じ範疇に入る『ブロークバック・マウンテン』も実に21回もフィラデルフィアの映画館で観た。でも、『アナザー・カントリー』(以下『アナカン』)は私が見始めたときには劇場公開はとっくに終わっていた。たまたまビデオレンタル店で手にしたのがきっかけで、ビデオで100回は観ている。まったくつける薬がないくらいのバカですね。

この二つの映画作品の共通点は、舞台が英国であることである。寄宿学校の独特の雰囲気は、どちらの作品にも濃く立ちこめている。もちろん、『わたし』の方がずっと新しいので、寄宿学校といっても『アナカン』ほどには寄宿生活は非民主的ではない。でも、いかにもイギリス的だと思われる箇所が共通しているので、つい『アナカン』の中の学生同士の関係がかぶってしまう。寄宿学校自体が民主的であろうが非民主的であろうが、そこで生活する5、6歳から17歳くらいまでの子供の精神状態、心理状態、それも寄宿学校という閉鎖空間でのそれはそうかわらないに違いないから、どうしても連想してしまうのだ。

『アナカン』はもともとはお芝居で、映画版とはかなり違っている。まったく別作品と考えるべきかもしれない。私はどちらかというと映画版の方が好きである。もちろん芝居の方もロンドン、ウェストエンドで評判をよんだくらいだから、優れた作品ではあるのだけど、世界中に売り込むにはやはり映画には敵わない。

ウィエストエンドの舞台で主役のガイを演じたルパート・エヴェレット、コリン・ファースは、映画でもの主役、準主役の座を勝ち取っている。そしてこの二人、今や英国映画界を代表する男優にのし上がっているのも興味深い。