これは再三池田信夫さんがブログで取り上げていたトピックで、今日のブログでも再度言及されている。沖縄の集団自決をめぐって争われた名誉毀損訴訟の最高裁判決で、被告の大江健三郎氏と岩波書店が勝訴した(2011年4月、最高裁にて原告側請求棄却判決確定)ことについての記事である。池田さんは、この判決は大江氏が正しいことを証明した訳ではなく、むしろ裁判の過程で大江氏の書いた『沖縄ノート』(岩波書店)のいかがわしさを露呈させたものだという。なぜなら、こういうドキュメンタリータッチのものを書く場合の必須条件である現地調査を大江氏がせずに、現地紙の切り抜きを文学的に加工しただけのものだったことが明らかになったからだという。大江氏側も問題の記述が伝聞で確認できないことは認めたという。
この裁判は、赤松嘉次大尉らを「集団自決を命じた屠殺者」だと罵倒した大江氏の『沖縄ノート』の記述が事実かどうかをめぐって赤松大尉の遺族などが起こしたものだった。5年間にわたる裁判の過程で明るみにでた事実は、先述した大江氏の「取材方法」のみではない。大江氏の弁護側にいた牧師自身が「渡嘉敷島でゴボウ剣で数十人を刺殺したことを法廷で認めた」という「副産物」までついてきた。大江氏側にとっては恥ずかしい結果になったわけである。
大江氏が糾弾した赤松大尉は、大江氏の主張とは逆に、集団自決しようとした沖縄の人を止めようとしたことが分かっている。それでも岩波が当該本の出版を取りやめることはなかった。自分たちの非を認めない作家や出版社って、いったい何なんだろうと思う。一旦手にいれたプレスティージは永遠に自分たちのものだという驕りがあるのではないか。
大江氏のようないわゆる「進歩的知識人」を標榜する学者たちと、彼らから絶大な支持を得ていた出版社。池田さんは以下のように彼らを批判する。
彼らが戦後60年あまり振りまいてきた『非武装中立』の幻想は、きわめて有害なものだった。国民の短絡的な正義感に迎合して結果に責任を負わない万年野党と、既得権を無条件に擁護する与党との不毛な対決の中で政策の対立軸ができず、優先順位をつけて政策を取捨選択しなかった結果が、莫大な政府債務と迷走する危機管理である。
今回の震災で露呈したのもこの危機管理の甘さだったのが、国民は骨身に沁みて分かったはずである。その原点が安っぽい正義感に迎合した「左翼的」民主主義だったのは明らかである。その意味で言論界を牛耳ってきた「進歩的知識人」の罪は重い。
こういうとき、やっぱり三島由起夫を思ってしまう。なぜ大江健三郎がノーベル文学賞をとったのかが、いまだに腑に落ちない。彼の小説を私は評価しない。やたらとペダンティックにする操作が施されていて、感動したことはない。彼の初期作品、たとえば『死者の奢り』、芥川賞をとった『飼育』くらいまでは読める。でもそれ以降は文章自体がヘンである。神経をさかなでするような気持ち悪さがある。アメリカの大学のクラスで『万延元年のフットボール』を読んだが、翻訳者はさぞ大変だっただろうと同情してしまった。英語翻訳の方が原作よりも「読みやすく」なっている。それでノーベル賞まで行ったのかもしれない。彼の作品を褒める人たちは果たして本当に心を動かされているのかと疑わざるを得ない。難解であればあるだけ文学的価値が高いと思うだなんて、それは単にその読み手のセンスが悪いだけである。
今カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(Never Let Me Go)を読んでいるが、こちらは「本物」である。ペダンティックでも難解でもない。でも波のように感動が押し寄せてくる。何よりも文章が美しい。三島由紀夫は「文体」が文学の絶対条件だといって森鴎外、泉鏡花を絶賛したが、カズオ・イシグロを読んだらきっと日本人の感性を文章化する新しい時代の旗手が登場したと喜んだに違いない。
イデオロギーを下手に作品に組み込むと失敗作しか生み出せないのではないか。大江をよいしょしていた人たち、今どうしているのだろう。