yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『わたしを離さないで』の書評

カズオ・イシグロの原作はKindle で注文したので、その場で手に入った。さっそく2日前から通勤の電車の中で読んでいる。まだ10%のところなので、どういう経過を辿って行くのかはまだ分からないのだけど、非常に魅力的な作品であることは間違いない。

語り手であるKathy の語り口はきわめて冷静、でもときどきそれが冷ややかさのように感じられるように設定されている。彼女の友人のRuth、そしておそらくはこれから強い絆を作るであろうTommy との関係は、このごく最初の段階で詳細に描かれている。

Hailshamという寄宿学校での生活が淡々と語られるのだけど、Tommy という苛められっ子とどういう事件が発端で親しくなったのか、それがどう発展していっているのかが語られるところを今読んでいる。

このHailsham で共同生活をする子供たちが、臓器移植のためのクローンとして「育てられている」という背景を知らないと、Kathy の話す内容が腑に落ちない。一般的な英国の寄宿学校と同じようでいて、どこか違った雰囲気を行間から嗅ぎ取ってしまう。そこで読者は宙吊りになる。このあたり、イシグロの筆は冴えている。

そしてより冴えているのが、Kathy の語りに内在する「距離感」である。彼女に比べるとTommy のTemper 癇癪の爆発はとても「人間的」に思える。そういう風にイシグロは描いているのだ。

一見静かだけど、なにかとてつもない地熱のようなエネルギーを蓄えているHailshamという場での物語。そしてそこで臓器移植用のクローンとして育てられた、人間であると同時にある種のサイボーグである少年、少女たちの心の葛藤。それを描くのに、イシグロの文体はぴったりである。

映画化するとなると、その「文体」にあたる部分をどの程度映画のディスコースとして観客に呈示できるかがが、成功の鍵を握っている。だから映画をみるのが怖い。

カズオ・イシグロを原作で読むのは初めてなので、まるで詩のような彼の文体への思い入れが強すぎるかもしれない。でもこの作品を映画化するのはかなりの「冒険」であったのは間違いない。今のところ観る気がしないが、時間が経てば気が変わるかもしれない。