yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞を喜ぶ

ロンドンから帰国したその日にこの発表。嬉しくて、飛び上がってしまった。今回訪ねた大英博物館の日本ギャラリーにも「カズオ・イシグロコーナー」があった。彼が英国でも高い評価を受けているのを知ってはいたけれど、それがかくと実感できた。

『わたしを離さないで』(Never Let Me Go、2005)については、またカズオ・イシグロ氏については、この本を読んだ2011年4月に3度も当ブログ記事にしている。ただ、読後感をどう表していいのかためらってしまう内容で、深く感動したものの、言葉にはなかなかならないもどかしさを感じた。今でもreviewするのは憚られる。とはいえ、その時の(かなり中途半端な)reviewをリンクしておく。

あるシーンに感動した。通勤電車の中でこの箇所を読んだとき、涙が止まらなくて困った。そのシーンとは、タイトルと密接に関連しているもの。Wikiにそこが端的に述べられているので、お借りする。

The novel's title comes from a song on a cassette tape called Songs After Dark, by fictional singer Judy Bridgewater.[3] Kathy bought the tape during a swap meet-type event at Hailsham, which she often used to sing to and dance to the chorus: "Baby, never let me go." On one occasion, while dancing and singing, she notices Madame watching her and crying. Madame explains the encounter when they meet at the end of the book.

Hailshamの「寄宿学校」。まだ幼さの抜けないKathyがテープに録音された歌、Songs After Dark(架空の曲)に合わせて踊る。それをMadame(このときは彼女が何者かはわからないのだけど)が垣間見て、さめざめと泣くシーン。"Baby, never let me go"というのが歌中にあるフレーズ。意味もわからないながらも、何か心を強く揺さぶるものを感じて、Kathyは無邪気に踊る。自分にいかなる運命がやってくるかを知らないKathy。詩的な感性を持ったKathyが自身が臓器のdonorとしてしてしか存在できないことを知ってしまった時の衝撃と絶望を、Madameは予期できたから泣いたのだ。ここを読まされる読者も連れ泣きをしてしまう。この時のMadameのhelpless感が半端ない。それは読者のものでもある。

一応最後まで読んだ。でも翻訳は読んでいない。映画も「予告編」は見たけれど本編は見ていない。恐ろしくて。変にいじられると、原作の持つ崇高さが殺がれてしまう懸念があった。実際はどうだったんだろう。

当時、こういうテーマを扱ったカズオ・イシグロ氏への批判も強かったよう。設定としてこれほどの「究極」はあり得ないだろうから。しかも登場人物は子供である。クローンとして育てられる子供である。批評家たちが扱いかねたのは、容易に想像できる。

でも魂レベルでの「葛藤」を示すのに、こういう究極を設定するというのは、アリなのかも。「アリ」というのが語弊があるとしたら、作者カズオ・イシグロのどうしようもない絶望感を表しているようにも思った。様々な摩擦、抵抗の中で、どうしても魂レベルの作品を書きたいという、彼のやむにやまれない意思を感じた。

辛いけど、もう一度読み直してみようと思う。というのはこの作品だけではなく、彼の代表作、『日の名残り』(The Remains of the Day、1989)にも、やはり日本的感性を強く感じるから。当時はそんなことは考えもつかなかったのだけど、能の世界と共通するものを感じる。生と死の間にある曖昧な部分というか、薄闇的世界を扱っている点で。また陰翳礼讃的な雰囲気を醸し出している点で。