yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(原題The Imitation Game、2014))

27日、正午過ぎの成田発ロンドン行きのブリティッシュ・エアウェイズ便に乗ったのだけど、機内で見た映画が興味深かった。その一つがこれ。日本では2015年3月に封切られたそう。地味な映画なので、あまり評判にならなかったのかもしれない。

Wikiの解説が以下。

アンドリュー・ホッジス(英語版)による伝記『Alan Turing: The Enigma』を基にグレアム・ムーア(英語版)が脚本を執筆し、モルテン・ティルドゥムが監督、ベネディクト・カンバーバッチが主演を務めた。映画は第二次世界大戦中にエニグマ暗号の解読に取り組み、のちに同性間性行為のかどで訴追を受けたイギリスの暗号解読者アラン・チューリングを描く。

主人公のチューリングについての簡単な解説は以下。

アラン・マシスン・チューリング(Alan Mathieson Turing, 1912年6月23日 —1954年6月7日)はイギリスの数学者、論理学者、暗号解読者、コンピュータ科学者。コンピュータ科学および(チューリング・テストなどからは)人工知能の父とも言われる。

第二次世界大戦の間、ブレッチリー・パークにあるイギリスの暗号解読センターの政府暗号学校で、ドイツの暗号を解読するいくつかの手法を考案し、英国の海上補給線を脅かすドイツ海軍のUボートの暗号通信を解読する部門 (Hut 8) の責任者となった。ドイツが使用していた、エニグマ暗号機を利用した通信の暗文を解読する(その通信における暗号機の設定を見つける)ための機械 bombe を開発した。

ストーリーについてはWikiを参照されたい。天才数学者であったがための同僚、同輩との軋轢、また同性愛者であったがための迫害という二重苦の中で、それでも飽くことなく研究に没頭したチューリングの悲劇を描いている。世間は「背徳」とか「裏切り」といった名称で彼に罪を被せ、身動きとれなくさせてしまう。数学者のノイマンとはプリンストンで知己になり、ノイマンはチューリングにアメリカにとどまることを強く勧めたとか。それに従っておけばよかったのにと、残念。

以下が映画のキャスト。日本語版を表示している。

• アラン・チューリング - ベネディクト・カンバーバッチ
• ジョーン・クラーク - キーラ・ナイトレイ
• ヒュー・アレグザンダー - マシュー・グッド
• ロバート・ノック刑事 - ロリー・キニア
• ジョン・ケアンクロス- アレン・リーチ
• ピーター・ヒルトン- マシュー・ビアード
• アラステア・デニストン中佐 - チャールズ・ダンス
• スチュアート・ミンギス少将 - マーク・ストロング
• 若き日のチューリング - アレックス・ロウザー

IMDbでは8点(10点中)の評価で、かなり高い。多くはカンバーバッチの演技の優れていたことによると思う。浮世離れした天才。彼が周囲と合わせられない違和感をリアルに表現していた。また、女性を愛せないということの苦悩も、悲しいほどにうまく表現していた。女性ばかりか人間そのものに興味がなく、数式と機械のみにしかのめり込めないアラン・チューリング。彼のどうにもならないまでの周囲との離脱感とそれゆえの孤独。変な思い入れを介さずに描き出せたのは、カンバーバッチの優れた感性ゆえに違いない。

彼のその孤独。それは彼が全寮制の私立学校、いわゆるパブリックスクールの一つであるシャーボーン・スクールにいた頃の同級生への実らなかった愛に起因するというのが、頻繁に使われるフラッシュバックによって伝わるように工夫されていた。この場面が一番好き。天才的に理数科目のできた少年。14歳の時分でも同級生から浮いていた。其の彼を理解し、常にかばってくれた同級生の少年は結核で亡くなった。彼が「I love you」と書いたメモ用紙を渡そうと待っていたのに、校庭の集団の中に目当ての少年を見つけられなかった時の、絶望感は針が突き刺さるようだった。少年役のアレックス・ロウザーがとても良かった。このシーン、パブリック・スクールでのボーイズラブを描いた映画、『アナザー・カントリー』の某シーンとかぶってしまった。切ない。奇しくも「アナカン」の主人公、ガイ・バージェスは、MI6に所属しつつソ連のスパイというdouble agentになった。

軍の将校たちと暗号解読センターでの研究者、養成学校の教員たちとの間の齟齬もうまく描けていた。官僚組織、いわゆるInstitutionと個人との間の埋められない溝。これは普遍的なテーマだろう。

Wikiの映画解説では、漏らしているところが多々あって不満だけれども、それは見る人によって焦点の合わせ合わせ方が異なってくるからかもしれない。天才の凄さを見るという見方。彼の社会との解消できない乖離を見るという見方。愛の不毛を見るという見方、その他もろもろ。そういう意味では優れた映画になっていたのかもしれない。全てが彼の最期の収斂するように描いていた。ここはちょっと不満。