yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

学生にもっと教養を!

アゴラ」という意見交換のプラットホームを提供しているブログに,
ソーシャルメディアマーケティング』を上梓された小川浩(@ogawakazuhiro) さんが「デジタルネイティブ礼賛はやめて、学生にもっと教養を持たせる努力をするのが大人の役目」という題の記事デジタルネイティブ礼賛はやめて、学生にもっと教養を持たせる努力をするのが大人の役目- @ogawakazuhiro – アゴラを投稿されています。

ソシャールメディアの専門家がこういう苦言を呈されるのは意外な気がしますが、読めば納得です。現在中東で広がっている民主化の動きの伝播のきっかけをつくり、反政府組織を生み出し、そしてそれを促進したのがFacebookTwitterのような新しいメディアの活用だったというのは認めながらも、彼は次のように釘をさします。

Facebookが革命を起こしたのではなく、「語るべき何か」を持った革命の強い意志を持つ若者たちの手助けをしたに過ぎません。ソーシャルメディアには組織を生成する力もなく、単に組織行動をとれる数多くの革命組織の作戦行動をアシストしたツールに過ぎないのです。だからといってFacebookを始めとするソーシャルメディアの価値や意味を軽く見るのではなく、『語るべき何か』を持っている若者のための真の味方である、それがなければ単なるおしゃべりの場にすぎない、ということを正しく理解するべき、といいたいのです。」

たしかにFacebook のよう新メディアは民主化を広く人々に認識させ、組織を編成させる手助けをしたのは事実ではあるけれど、そこには「人」という要素が大きく作用したのだというのです。メディアはあくまでもツールであって、「民主化」が何を意味するかを知り、それを他の人たちに語りかけ、かつそれを共有し、深めるという作業抜きでは、質の伴った民主化のムーブメントになり得ません。つまり質の高い人が介在して初めて、Facebookのようなメディアが有効なツールとして機能する訳です。

今回の中東の民主化の動きには知的レベルの高い若い層が介在したことを推察しているのです。

翻って、日本ではそういうレベルの高い若い層がいるのかと彼は問います。彼が出会う若い人たちには教養のある人、つまり文学的教養をもち、歴史、宗教いった文化に通暁し、また現代政治に関する情報を理解している者が少ないというのです。

たとえば映画、Facebookザッカーバーグをモデルにした『ソーシャルネットワーク』中で、彼が友人のメールアドレス、”Jabberwocky”をみて「アリスかよ」と皮肉る場面があるそうですが(観ていないので小川さんの伝聞です)、もちろんそれは『鏡の国のアリス』(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There)中に出てくる意味不明の言葉、フレーズを連ねた詩のことを指しています。つまり、いくらオタクとはいえどザッカーバーグにはその程度の文学的教養はあったということです。

教養のレベルでゆくと、日本のエリート集団の若者はアメリカのエリート集団に比べて低いことは大いにあり得ます。大学での教養レベルの履修科目は縮小される傾向にありますし、社会もIT等の知識を身につけろとかTOEICでいい点を取れとか、会計士の資格を取れとは言っても、文学に親しみなさい、歴史を知りなさい、芝居をみなさいとはいわないですよね。今ほどそれらが軽んじられている時代は他にはないと思います。

小川さんが危惧しているのはその点でしょう。アメリカでも普通の学生のレベルは日本と同程度でも、エリート集団の教養の高さではまったく太刀打ちできません。欧米のエリート層全般にいえることです。