yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『ソーシャルメディア革命』立入勝義著

これが私の読んだ3冊目のソーシャルメディア、とくにFacebook, Twitterに特化した本ということになる。著者は大学(UCLA)からアメリカ在住で、血の利を活かした情報発信をしている方である。しかも実際にインターネットのハード事業にも携わったことがあり、ソフト面ではその黎明期からブログ、Facebookの実践をされている。

先日読んだ佐々木俊尚さんの『キュレーションの時代』がソーシャルメディアがひきおこすソフト面の影響を重点的に論じた書であったのに対して、こちらはそのパックになっている「仕組み」と、それがグローバルレベルでなにをもたらしているのかの具体例を綿密に分析したものである。

最も衝撃的だったのと同時に、正鵠を射た分析だと膝を打ったのが第3章「究極の村八分、孤立していく日本」だった。まさにその題通りの現実と理由を以下のように10点に絞り込んで延べている。

1  既存の大手メディアの影響力が強すぎる
2  人権意識が低い
3  政治(や社会)とジャーナリズムへの関心が低い
4  個性を認めない「出る杭を打つ」文化の存在
5  自営・独立をする人が少ない
6  非営利団体に対する支援と理解の欠如
7  語学力の低さと国際意識の欠如
8  PV神話が根深い
9  先駆者としての匿名掲示板の存在
10 芸能ネタへの偏り

これらの中で、1〜7は教育の貧困とかかわっているように思う。アメリカで少しでも長く生活すればよく分かることだが、2、4、5、そして10の項目は特に日本的特徴の代表格である。日本へ帰ってきて逆カルチャーショックを受ける部分でもある。「村八分」が社会のコードとして暗黙裏に認知されていて、それに抵触することを極力避ける生き方をするよう教育されてきた日本人は、そういう姿勢、生きざまが、逆に自らを世界で「村八分」にされる状態にしてしまう原因を作っていることに気づかない。私など、教師からよりも自分の母親から執拗にそのコードに沿って生きるよう強制された。その呪縛から完全に解放されたのはアメリカで7年以上生活してからであった。

著者は「世界に目を向けよう」と檄をとばしている。

そして、いちばん同感だったのが7である。これは自分の職とも大きく関係しているから、とくに痛感する部分だった。彼がここで提案しているのはきわめてドラスティックな方法だが、教育畑の人でないがゆえに逆に説得力がある。今や小学校から導入されている英語教育を一切やめてしまうという提案である。たしかに日本の英語教育が子供たちに英語の力をつけるどころか、英語嫌いを量産する結果しか生み出してこなかったのは、現実をみれば明らかであろう。彼はその時間をきちんとした日本語を教育することをはじめとする他教科の強化に振り当てるべきだという。

私自身英語教師は二度とやるまいと思ってアメリカから帰ってきたのに、英語を教える羽目になって、砂上の楼閣を築いているような、否、賽の河原に石を積んでいるような虚しさに日々苛まれている。日本の英語は中学校、高校、大学とすべてそこで教えている教師たちの糊口を凌ぐためのものではないかという思いが強くなっている。教師のほとんどが、生徒にとって何が必要なのか、どういう教え方をすれば真の力をつけてあげられるのかの研究もせず、さらにいうなら情熱ももたずに自分の生計を立てるためだけに教えているのではないか。彼らは英語圏に住んだことも、いや、旅行したこともそれほどなく、話す英語、書く英語については能力を開発しないままに来ている。そういう教師たちはネイティブスピーカーがやってくるとそこから逃げ出す。また、難しい文章とはいえない簡単なメールさえ打てない。打っても失笑ものの文面である。大学の英語でいえば「文法」、「訳読」が中心である。私は彼らが「得意」とするそれさえ疑っている。訳といったって、まちがった訳をしているのではないかと。何かの言語をやる場合、「訳」の能力だけ高いということはあり得ないから。

そういう教師たちに教えられている子供たちこそいい迷惑である。こういう教師たちの言い訳はみな共通している。「生徒たちができない」というのである。まるで他人ごとのように。それを聞くと、「あんたの能力がないんだろう」とおなかの中で呟いてしまう。

しかし、これはおそらくずっと変わらないだろう。ごまめの歯ぎしりをし続けなければならないかと思うと、ぞっとする。

閑話休題。この著書に戻ると、立入さんが推薦しているのは海外への留学である。もちろんご自分の経験を踏まえてのことである。私もまったく異論がない。ところが残念なことに日本の10代、20代はきわめて内向きで、そういう挑戦はしたがらない。

愚痴ばかりになってしまうが、愚痴ですまない事態に日本が遠からぬ将来陥るに違いないと思うと慄然とする。